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キャリア発達とは、結局なんだ?~そもそも「発達」とは何か~

キャリア発達について考える記事、第二弾です。

前回は「基礎的・汎用的能力」をつけることがキャリア発達ではないか、という視点で考えました。

こちらの記事です↓
キャリア発達とは、結局なんだ?~基礎的・汎用的能力から考える~ - FORESIGHT.COM

今回は、そもそも「発達」とはどういうことかを考えていきます。

発達科学の視点から

『発達科学入門1 理論と方法』(東京大学出版)という本を読んでみました。

その中から抜き出しながら紹介します。

発達とは

人間の発達というのは「授精から死までの生涯にわたる時間の経過にともなって個体にある程度継続して起こる変化」だと説明されています。

発達は直線的でもなく、すべてが一斉に起こったり衰えたりするものでもなく、多くの側面があります。

発達は多くの要因によって起こり、さらに主体である当人が様々な要因を取捨選択し経験を統合してつくり上げるという性質を持つことが、多くの側面を持つ理由の一つです。

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発達の基盤には生物学的要因、環境要因、その両者間の相互作用があります。

そして個々人の発達に影響を与えるものは以下の3つです。

①年齢にともなってすべての人間に共通に影響を与えるもの
→各年齢でそれが普通だと考えられている発達課題、年齢につれて順次変化していく生活の場(例えば、家庭、学校、職場など)での影響、加齢にともなう体力・体調の変化など

②歴史・時代の性質がそこで生活しているすべての人間に共通に影響を与えるもの
→経済や社会の状況(例えば経済不況や戦争、文化・時代精神の影響など)

③個人に特有な特徴
→ある個人に特有な生理的・身体的な特徴、個人に特有なライフイベント(宝くじが当たった、後遺症の残るような怪我を負ったなど)

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人間の発達を考える上で、「発達の主体」の問題があります。

発達を自分の経験、自分の知識として体制化していく、発達の主体としての人間をどう考えるかという問題です。

この問題を解決する1つのやり方は、人間そのものにもともと主体性が備わっているとし、その傾向を環境の影響を受けて発現するものだと考えることです。

ヒトの発達の特殊性

『発達科学入門1 理論と方法』では、さまざまな領域から人間の発達を見ています。

ここからは、その中のいくつかを紹介します。

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動物行動を理解するためのアプローチの中でも、進化と発達は時間軸に沿った行動理解の両輪です。

ここでは、二足歩行を身につけたことから始まる子どもの養育状況の変化など、ヒトの進化的特徴からヒトの発達の特殊性を見ています。

ヒトは二足歩行を身につけ、森林を離れて乾燥地帯に進出しました。これは女性の難産化や雑食性への変化、食物の処理や加工・調理などをもたらしました。ヒト属の母親は養育負担が大きくなり、子どもは離乳後もすぐに自活できない状況が生じた。また、サバンナでの生活では捕食者対策として集団生活が欠かせなかった。これらの要因が相まって、霊長類としては例外的な父親の養育参加や老齢者の養育支援を含む共同繁殖社会が誕生しました。

母親以外の個体からの養育援助がある分、母親の授乳期間と出産感覚は、他の類人猿よりも短縮されたが、すぐに自活できない子どもは長い児童期と思春期を社会に依存して成長するようになった。成熟や社会学習に多くの時間が費やされ、繁殖開始年齢は他の類人猿よりもずっと遅延するようになった。

母子が常時密着する類人猿に対して、ヒトの母親と乳児はより個体間距離が長い。距離のある母子間コミュニケーションを維持するために、まなざしやジェスチャー、音声のやりとりが発達し、視聴覚系モダリティへの依存度が高まった。これらは他者の心や三項関係を理解する能力を促し、共同繁殖社会であることとも相まって、他の類人猿に見られない共感性や協力行動などの社会的知性を進化させました。

行動遺伝学から

ヒトは他のあらゆる生物と同じように、進化の過程で蓄積してきた遺伝的資源を、環境の諸条件に対して適応的に発現しようとし続けている。

発達科学は、そのような適応の姿の時間的変化を、様々な発達段階における様々な心理的・行動的側面について科学的に解明しようとするものです。 ここではそのおおもととなる遺伝要因と環境要因の関係について、行動遺伝学からアプローチしています。

この論文には、一卵性双生児と二卵性双生児のきょうだいの類似性に関する調査結果が書かれています。

それによると、多くの心理的形質における個人差は遺伝要因と非共有環境によって説明され、共有環境の影響が見られる形質は少ないことが言えます。

遺伝要因は系統的な変化に関係し、非共有環境要因はその時点時点に特殊な影響をもたらして、もう1つの変化の要因となっています。

認知発達

『発達心理学』(ナカニシヤ出版)によると、認知能力とは外界の刺激を取り入れそれを処理し、外界にはたらきかける過程全体を意味します。学習、思考、言語、感覚、知覚などがこれに含まれます。

ビョークランドは「認知発達は、子どもの生物学的構成(遺伝的特徴を含む)とその子どもの物理的および社会的環境(文化を含む)のダイナミックで相補的な相互作用を通して進展する」と言っています。これは認知に限らず、あらゆる発達の根底にある中核的な仮定であると言えます。

そしてスペルキらは、新しい概念は、既存の概念を修正したり、選択したり、結びつけたりする過程から生じると考えています。

カーミロフ-スミスは、子どもは生まれつき能動的で、世界がどのように機能しているのかについての理論を自発的に作り上げていくとしています。

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発達の道筋は、人間の進化という大きなものから、個々人の個体発生という身近な状況や即時的なミクロ発生といった多様な水準での選択的適応であり、そのことが、個人内でも個人間でも発達の可塑性が認められることを証拠づけると考えられています。

発達の過程は単純により有効性の高い方向に向かうのではなく、常に成長と後退が起こっていると言われています。

また発達は獲得、維持、変容、消滅を包含する複合的な過程で、それらのダイナミックな相互作用の結果です。その結果は個人内のみならず遺伝の進化や社会での役割にかかわる個人間の変化をもたらすことを示唆しています。

社会・情動的発達

情動というのは、恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情で、急激で一時的なものを指します。

ここでは人間関係の発達、社会的なものの見方の発達、情動の発達について書かれています。

人間関係を形成し、広げ、深めていくことは、社会的な発達の重要な部分であると同時に、社会的な発達が生じる基盤ともなるものです。そのようないろいろな人々との相互交渉を通して、子どもの中には社会的なものの見方についての理解や態度が構成されていきます。そして近年、情動は、そのような社会的な発達にとって必要不可欠なものであると考えられるようになってきました。情動は、人と人との間をつなぎ、社会的な発達を下支えするものとみなされるようになってきたのです。

社会的な発達とは、単に社会の規範や慣習に沿った行動がとれるようになることを指すのではなく、自分を生きることと他者のために生きることとのバランスを自分自身で判断し、他者とともに自分を生きられるようになるプロセスを意味しているのではないかと考えるからです。

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精神医学者のサリヴァンは、人間関係の発達を、成長とともに社会的な欲求が生じ、それに応える人間関係が展開していくこととしています。

・乳児期…庇護を求めるというやさしさへの欲求。養育者によって満たされる。

・幼児期…ともに行動する相手を求める欲求。同年輩の幼児によって満たされる。

・児童期…受容される欲求。仲間集団(たとえばクラスメイト)によって満たされる。

・青年前期…親密さの欲求。同性友人(親友)によって満たされる。

サリヴァンは、この青年前期をとりわけ重視しました。たとえそれまで人間関係に恵まれなかったとしても、この時期の人との親密な関係によって社会的な発達を回復させることが可能であるとしています。また児童期から青年期にかけては親からの自立を獲得することが課題であるが、その過程を支えるのは、同性友人との親密な関係であると考えています。

その後性への欲求が加わり、異性の相手との関係が展開するようになる。 さらにここで「完全に人間となる時期」が近づくとサリヴァンは言います。

完全に人間になるとは、自分のやりたいことを行う自由を持ちながら、同時にそれが、自分の所属する社会の秩序に適応しており、またそのことを気持ちよく感じる状態であるとされています。これは、「個と社会の葛藤」に対してある程度の折り合いをつけられるようになることと解釈できます。

それ以降の人間関係の発達は、生活構造や役割・立場の変化とともに、葛藤が形を変えて立ち現われ、その都度、柔軟に折り合いを模索することと言えるのではないでしょうか。

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子どもは、次第に広範囲の他者との間に関係を広げていき、そのような人々との相互交渉を通して、社会的なものの見方についての理解を構成していきます。そのような構成の典型的な例として、道徳性の発達をとらえる枠組みを見ていきます。

コールバーグは、子どもの道徳判断は、自己中心的な快・不快や損得に基づいて判断する「慣習以前の水準」から、他者からの期待や社会秩序の維持に基づいて判断する「慣習的な水準」を経て、正義・良心・人間の尊厳などに基づいて判断する「慣習を超えた水準」へと達すると考えました。これは、「個と社会の葛藤」に折り合いをつけていく道筋として見ていくこともできます。

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ルイスは、情動を、事象に対する評価システムであるととらえ、認知能力などが高まることにより、事象に対する評価が多次元化しさまざまな情動が出現していくことを情動発達と考えています。彼は、喜び、驚き、悲しみ、嫌悪、怒り、恐れを、生後半年くらいまでに現れる一次感情とし、その後、1歳半から2歳過ぎにかけて、子どもが自己意識や内省力、自己を評価する基準や規則を獲得することにより、照れ、羨望、共感、当惑、誇り、恥、罪悪感といった情動が出現してくるとし、それらを二次感情と呼びました。

罪悪感や恥などの情動は社会的情動と呼ばれることもあり、人が社会の一員として生きていく上で欠かせないものです。

人間の心の進化的起源について論考を進めている進化心理学的アプローチでは、罪悪感、感謝、義憤などの社会的情動は、集団生活における互恵性の原理を維持するために進化してきたのではないかとされています。

集団生活を維持するためには、メンバー間の関係性や利害バランスを調整するメカニズムが必要です。それを可能にするものとして、社会的情動が進化してきたのではないかとされています。その互恵性を破った時に経験されるのが罪悪感であると考えられている。

青年期では、例えば、自分は他者と比較して誠実であったかどうかを考えて罪悪感を持つといったように、自他の道徳性を比較することによっても罪悪感が生じるようになっていきます。道徳的規則への理解が深まること、人間関係がより広く深くなることが、その背景にあると考えられます。

生涯発達

生涯発達の研究における大きな2つの問いは、「生涯における発達とは何か」「人はどのように生涯にわたって発達するのか」です。後者の場合、たとえば子どもから大人までの縦断データを得たとしても、それはその時代や文化に制約された、発達の1つの表れに過ぎないと考えられます。

人間の発達が持つ可能性と多様性に迫るには、「発達とは何か」という問いのもとに、発達を説明する理論を持つことが必要です。この問いは人間についての根本的な問題であるがゆえに、心理学という一分野にとどまりません。

テテンスは現在ある姿を理解するには、初めから変わらずそうであったと考えるのではなく、今とはちがう状態から長い時間をかけて変化してきたのだと発想します。つまり現在の姿を知るには、そのように至った変化のプロセスと条件を知る必要があるということです。

発達学とは、観察対象を特定し、時間的に先行する状態と後続の状態との間にどのような関係があるかを探求する学です。つまり時間的変化を説明し、その変化がなぜ生じたのかを説明する学ということです。

発達学における大事な考えは2つあります。

1つは、変化は閉じた中の単純な法則によるのではなく、外部からの作用によって時間軸上に展開するということ。

そしてもう1つは、変化は過去からの蓄積の上に生じるということです。

発達学における「変化」は、具体的な空間的広がり(外部環境)と時間的広がり(蓄積された過去)に結びついています。

バルテスは、発達の概念を、それまでのような獲得や成長ではなく、外界と相互作用をするという意味で用いました。エリクソンも発達と環境との相互作用によって発達を説明しようとしました。

エリクソンの考え

追手門学院大学の三川俊樹先生が、『ほめて伸ばす!叱って育てる!』(東京書籍)の中でエリクソンの考えを書かれていました。

それがとてもわかりやすかったので、ここで紹介させていただきます。

【信頼 対 不信】…乳児期(0~1歳)
養育者が自分のメッセージを受け止めて世話をしてくれる。このような人間関係の中で身に付けられるのが安心感・信頼感です。

ただし自分がメッセージを出せば周囲の人が完璧に動いて自分の要求に応えてくれるという意識は危険なので、たまには自分の要求が満たされない「不信」の経験も必要です。また、「不信」が少し残っているからこそ、むしろ希望という強さや人を信じようという動きが出てきます。

【自律性 対 恥・疑惑】…幼児前期(1~2歳)
「自律性」とは、セルフコントロールの感覚のことです。これがうまくいかないことで起こる、自らの力に対する疑いの念が「恥・疑惑」の感覚です。「恥・疑惑」があっても、「自律性」の感覚があれば、意志の力によってさらにコントロールしようという新しい強さが出てきます。

【自主性 対 罪悪感】…幼児後期(3~6歳)
「自主性」は、やりたいことを実行することによって獲得されます。「これをするのはよくないかな」という「罪悪感」は、したいことがあっても実行できないという悪影響を及ぼします。

【勤勉性 対 劣等感】…児童期(6~12歳)
「勤勉性」を獲得させるには、新しい役割や与えられた課題に取り組んで、「やれた」「できた」という感覚を持たせることが大切です。「よくできたね」とほめられることで自信がつきます。

一方である程度の「劣等感」の経験も必要です。この経験がないと、「できない自分」に気づいたときに今までの完璧な自分が崩れ、不安定になってしまうことがあります。また「完璧に仕上げなければ」「期待されたとおりにやらなければ」という、脅迫的な気持ちを持ってしまう可能性もあります。

期待されてもできないことや友達と比べてできないこともある、でもこれが自分なのだと、できないこともさらりと受け入れられるようになることが大事です。

【同一性 対 同一性拡散】…青年期(11~30歳)
同一性とは、自分とは何かということです。

青年期はすでに乗り越えた発達的危機を再体験し、その解決を揺るぎないものにする時期です。過去の発達的危機の中でうまく解決できていなかったものがあったとしても、再びチャレンジすることによって、適切なバランスで克服できる可能性を含む時期です。

コフートの考え

コフートという人は、自己愛、ナルシズムの病理に苦しむ人の治療を多く手掛ける中で、健康な自己の発達についてのモデルを提唱しました。

その最初の段階は「誇大自己」と呼ばれます。子どもは、たとえば「あなたはすばらしい」「あなたはかわいい」というような言葉をもらいながら育ち、「自分はすばらしい存在」として周りに受け止めてもらえていると感じています。

そしてコフートの考える発達においてもう一つ重要なのが「理想化された親のイメージ」です。幼い子どもにとって、親は”完璧”です。しかし子どもたちが成長・発達するにしたがって失望する部分や幻滅する部分も出てきます。それに気づきながら、子どもたちは現実的なレベルでの将来の目標や生き方の指針を学び、身につけていきます。

これをもとに三川先生は、「自尊心」と「理想・目標」が私たちの人生の推進力・牽引力であるとおっしゃっています。

「自分のことを認めて」という欲求からスタートし、「周りから認められている」ということを経験して、自分で自分を認められるようになるというのが自尊心です。

そして理想・目標は親に対して抱くスーパースターのイメージから始まり、自らが達成可能なレベルまでに落ち着くそうです。

力強い「自尊心」に後ろから押し進められ、確かな「理想・目標」にしっかりと引っ張られ、我々は自らの人生を生きていく、と三川先生はおっしゃっています。

アイデンティティ

京都大学の溝上先生は『自己形成の心理学―他者の森をかけ抜けて自己になる』の中で、アイデンティティについて書かれています。

こちらも紹介します。

identityは「同一性」と訳される、人やモノが差異との揺らぎの中で同一であるかどうかを示す用語です。

エリクソンは青年期での自己アイデンティティを、自分はどこから来てどこへ行くのかという人生の時間的な連続性を自覚的につくり出す作業だと言っています。

溝上先生が言うには、アイデンティティ形成の本質的作業は自己形成です。

J・クローガーは、「アイデンティティは自己と他者のバランスの中ではかられる自己定義の問題だ」と述べており、G・アダムスは「エリクソンの仕事は、これら二つの構成要素(アイデンティティ形成と自己形成)を、自我アイデンティティと呼ばれる一つの全体的な構成体へと統合し、合体することにあった」と述べました。

また「青年期の自己形成」は自己発達から自己形成へという文脈を含んでいます。

他者の視点を取り入れて(同一化)、「私」の姿をつくりあげることは自己発達に相当します。しかし徐々に自分なりの価値観や考え方などによって「私」を再構成するようになります。これにもとづいた作業が、青年期の自己形成です。

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著書の副題になっている「他者の森をかけ抜けて自己になる」の意味を、溝上先生はこのように書かれていました。

ヒトが社会的な人となるための準備期間(乳幼児期)には、両親や家族を中核としてより外側の社会へと学習を広げていきます。この社会的学習は、結局は他者を通してなされます。他者はヒトを社会的な存在にしていくための最重要概念です。

自己(像)とは、他者の視点にポジショニングして世界を見るような構図が発達的に成立してきて、あるときその眼差しがふっと自分に向けられる瞬間に把握されるものです。

つまり他者の世界観を学習し、その他者が人を見るような感覚で自己を見るとき、自己は一つの像を得るということです。

青年期ごろからは、ヒトは他者の世界観に基づいて形成した様々な「私」を、今度は自分の世界観にもとづいて形成しなおすのです。 ここでも、自分なりの世界観と言っても、結局は他者を通して獲得されることに変わりはありません。