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9月2日(金) キャリア教育会議

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7月9日に「キャリア教育とアクティブラーニングの本質に迫る」というテーマで勉強会を開催しました。

約2か月後の9月2日には、その勉強会に関わってくださった何名かの方にお集まりいただき、当日の振り返りやキャリア教育についての議論をしました。

今回の記事では、その”キャリア教育会議”の様子をお伝えします。




ご参加くださったのはこの方々です。
福岡県教育センター 和田 美千代さん
福岡県立福岡魁誠高等学校 宮原 清さん
福岡県立城南高等学校 下田 浩一さん
福岡県立福岡高等学校 深江 一美さん
一般社団法人 福岡中小企業経営者協会 古賀 正博さん

ファシリテーターは、福岡中小企業経営者協会の事業でもつながりのある中嶋一顯さんにお願いをしました。


この会の目的は
①キャリア教育とは何か
②キャリア発達で重要な要素は何か
③これからのキャリア教育はどうなるのか
④社会連携の可能性
について、みなさんの考えをお聞ききすることです。

和田さんには7月9日のリフレクションの中でキャリア教育・キャリア発達とは何かについて話していただいたのですが、もっと他の人にも自分の考えるキャリア教育はこれだ、というのをお聞きしてみたかったのです。さらにそれを議論して深めた上で多くの方と共有したいと思いました。

この会議の様子はこうしてブログでも発信していますが、7月9日に開催した「キャリア教育とアクティブラーニングの本質に迫る」のまとめと一緒に九州中の高校に配りたいと思っています。

そしてその中に詰まっているキャリア教育とキャリア発達に対する考え、学校でどう実践できるかについての考えを参考にしていただき、キャリア教育実践がより身近になることを願っています。また、キャリア教育で重要だと思われる社会連携の在り方について考えるきっかけとなってほしいと思います。


ではここから、キャリア教育会議の始まりです。

7月9日の振り返り

中嶋さん(以下、敬称略)では7月9日の振り返りから始めます。お一人ずつ感想をお願いします。


古賀さん(以下、敬称略)教科や授業をものすごく愛されて、自分の教えることに哲学をもっている先生方と出会えたことに感激しました。教員採用試験の面接官をしたときのお話をしましたが、そのこともあってなおさら感動が大きかったです。


宮原先生(以下、敬称略)あの日はキャリア教育・キャリア発達についてお話をして、それがどう実践で活かされているか、教科にどう落とされていくのかにつながっていくという流れがあったのですが、それを事前に会場にお示ししていなかったため、それぞれの趣旨を明確に理解いただくことが難しかったかも知れません。

授業も同じですが、それぞれの狙いは何なのかということを事前に明確に示さなければならなかったなと思いました。


深江先生(以下、敬称略)皆さんの前でお話しさせていただくのは初めての機会だったので、話しているときに自分の中で整理ができていないことに気づいたり、話した後にも考えが浮かんだり。ずっと考えてきたことでもいざ人に伝えようとするとあいまいになってしまったり。

粗いままでお話ししてしまったような感じで申し訳なくも思いますが、ぜひ今後につなげて恩返しをしたいと思います。


下田先生(以下、敬称略)アクティブラーニングは授業改善や将来求められている力をつけるため、ということでもいいんでしょうが、それではアクティブラーニングとキャリア教育が切り離されているので違和感がありました。

7月9日は、それがスッキリさせられるような会でした。この気づきをもっともっと発信していくと、アクティブラーニングの中でキャリア教育ができていくんじゃないかと思います。


和田先生(以下、敬称略)あそこに集まっていた方は高く意識を持っているでしょうが、それほど意識を持っていない多くの他の先生方にこれからどうやって広げていけばいいんだろうかということを考えています。

それと、タイトルの設定がよかったと思います。下田先生がおっしゃったようにキャリア教育とアクティブラーニングを別のものだと考えている人の中で、その2つをぐっと近づけられたと思います。


それぞれの考える「キャリア教育とは」

中嶋:みなさんキャリア教育について長年研究されていると思いますが、それぞれの「キャリア教育とはこれだ」という考えを伺いたいと思います。

僕もちょっと調べてみたんですが、文部科学省がキャリア教育とは何かについて書いているところに、子どもたちをめぐる課題が示されていました。「自分の将来を考えるときに役立つ、理想とする大人のモデルが見つけにくく、自らの将来に向けて希望溢れる未来を描くことが容易ではなくなっている」とあります。

僕、これに疑問を持ったんですが、本当にそうなんですか? そういう環境になっていると感じられていますか?


宮原:必ずしもそうではないと思います。


中嶋:キャリア教育がなぜ必要なのかという根本的なところを知りたいです。そこがキャリア教育につながっていきますよね。

例えば国力の活性や、日本が国際社会で戦っていくために早いうちから学びを実際に活かす能力をつけなくてはいけない、ということがあるのでしょうか。

なぜキャリア教育が必要なのか、そのようなことをふまえてみなさんにキャリア教育とは何かを紙に書いていただきたいと思います。


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深江:私は「生きるための軸」と書きました。

生徒を見ていると、選択肢が多様過ぎてどれを選べばいいかわからず、親の意見で進路を選んでいる生徒が結構います。文理選択ですらそうです。

卒業した後も、どんな大手企業に就職してもそこで一生を終えるとは限りません。

そのようにキャリアの段階が移り変わっていくことを考えたときに、やはり自分の軸が必要だと思います。例えば仕事を失うことがあったとしても、その先にまでつながっていけるような軸を、キャリア教育で作ることができないかなと思っています。

もちろん仕事だけではありません。

私は生徒が不自然な形で死んでしまう、つまり寿命が来てというわけでなくて例えば自殺をしてしまう、死なないとしても生を謳歌できない。そのことが一番つらいと思っています。

生徒がどんな困難な状況になっても前を向いて生きていける、自分の生をまっとうできるような軸をつくっていきたいと思っています。


宮原:高校時代に十分に考えた進路選択ができていないまま大学に行って、大学を出るときも吟味が不十分なまま就職先を選んだ卒業生がいました。しかも選んだ会社がブラック企業で有名な出版会社だったのです。

大学4年生のとき内定を喜んでいる彼女を見て、「本当に大丈夫か?」と注意を喚起してもただ、「大丈夫です」とだけ答える本人。あっけらかんとした姿に、正直かなり不安を抱きました。就職をして1か月後、彼女は自ら命を絶っていました。

その知らせを聞いたときの後悔の念、決して忘れることはできません。

また別の件ですが、ほんの一週間前のことです。「会社をやめようと思う」と電話をかけてきたリハビリ職の卒業生がいます。

その生徒が高校生のときです。リハビリが本当にその生徒に合っているのか、直感的に私は不安を感じ「本当にその進路でいいの?納得してるの?」と聞きました。でも彼女は「大丈夫です、頑張ります」としか答えませんでした。その生徒が、結局今は適応障害になって会社をやめることになりました。

当時は学校で多くの生徒にキャリアカウンセリングをしていましたが、彼女も不十分なまま送り出した卒業生の一人でした。

こんな話はたくさんあります。生きるための軸を見つけられずにいる生徒がたくさんいるということです。僕は生きるための軸を見つけるためにも適時的なキャリアカウンセリングが欠かせないと思っています。

何になりたいのか考える、自分の10年後20年後のことを考える、というのはもちろんいいことです。でも軸がないままにそれを考えても、かりそめの内容にしかならないと思います。

進路選択力というのは使い古された言葉ですが、それが言われ始めた当時、本当に意味を理解して使っていた人はほとんどいなかったように思います。進路選択力というのは、自分の軸を知ったうえで自分の進路を選ぶ力のことです。

今は進路情報があふれているけれども、必ずしも選ぶ力はついていない。

だからキャリアカウンセリングによる軸探しの援助、言い換えれば自己理解を深めることが必要です。その軸は生き様となって表れ、貢献心となり、西田さんのいう「志教育」にも底通します。

もちろん自分の軸が見つかっても、それが世の中の実態と合わないことも多々あります。そこで必要なのが「折り合い」です。ここで大事なのは、はじめから「折り合い」をつけるのではなくて、軸を見つけることが先だということ。それが将来展望への意欲になり、実際の社会との「折り合い」に向かっていくのです。

そうして自分の仕事が決まったら、今度はその仕事を通して自分の生き方というものができあがっていきます。これが私の考えるキャリア発達です。


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古賀:私にとってのキャリア教育は、人生全体を領域とし、「何のためにどのように生きるのか」を体感し学ぶことです。

いろんな学校に講演で呼ばれたときに、それは就職に向けたものや進路を検討する時期に来た子たちに向けたものが多いんですが、何のためにどのように生きるのかということをいつも話しています。先ほどからお話に出ている「軸」と全く同じことです。

幼児期からどれだけ大人になっても、そういうことを常に考えるということです。

しかしこれは絶対解がない世界なので、常に社会とつながって体感して、相互に学んでいくものだろうなと思っています。

人間は弱いし間違えるということを前提に、自分は何のためにどう生きていくんだろうかということを、どの段階にあっても常に考えていく、感じていく。そして相互に学ぶ。これが私にとってのキャリア教育です。

“How to 就活”というのも、その中の一場面ですから非常に大事です。しかしキャリア教育はそこだけを切り取ったものではありません。


和田:キャリア教育がなぜ必要かというと、世の中が予測不可能になっているからです。

昔はキャリア教育という言葉は必要なかったんです。なぜかというと、会社に入ったらその会社がキャリアプランニングをしてくれて、自分の20年後30年後はこうなっているだろうというのが見えていたからです。

でも今はそうではありません。社会の変化がものすごく急激になってきて、自分の職業生活の寿命より会社の寿命の方が短くなってしまいました。文科省の言っている「自分の将来を考えるときに役立つ、理想とする大人のモデルが見つけにくい」というのもそれが関わっているでしょう。

自分でその激しい変化の荒波をなんとか乗り切っていかないといけないから、人生の段取りをつけ、展望を持つための時間であるキャリア教育が必要なのです。

さっき「軸」という話がありましたが、私はどんなことがあっても「なんとかなるさ」という柔軟さ、たくましさが必要だと思います。

一つの職業に向かってこうする、というのは私はかえって危ないと思っています。どこかに何かぴったりと自分の天職があるような錯覚はとても危ない。むしろうまくいかないのが人生さ、というような気持ちをどんどん持てることの方が大事だと思います。

宮原先生が「折り合いをつける」と言っていましたが、うまくいかないときにも自分がどうしていくかを段取りできる、そういう力をつける教育がキャリア教育だと思います。


下田:この会の中でキャリア教育を言葉にするというのは前もって聞いていましたが、この言語化できないもどかしさ。自分の中で考えたときにいろんな言葉が出てくるけれども、うまくまとめられない。

でも単純に、使い古されているけれど「生きる力」、この言葉かなと思いました。変化に対応する力、どんなことにも耐えられる力、という話が和田先生からありましたが、そういうことも私の中にあるうえでのこの言葉です。生きる力をつけるのがキャリア教育です。

今までたくさんの生徒と関わって、キャリア教育についての知識がないときからも、話を聞いて、考えさせて、自分の中で答えを見つけさせて、じゃあそれでやってみなさいと言い、でも本当にそれでよかったのかなと追及しながらやってきました。高校3年間がこれから先、自分の力になるかなという思いが宿っていたらいいなと思ってやっています。


* * * * * * * *

中嶋:このテーマに関してもう1つ議論をしたいと思います。今出てきている中で、何か違う意見を持っている方はいらっしゃいませんか?


古賀:対立軸は生まれなかったですね。


中嶋:そうですね。ではちょっと僕からなんですが、僕は中高生のころ、本当に何も考えていなかったんですね。進路に関しては「男は理系」というイメージで選んでいるようなタイプでした。

みなさんは若いときに自分の軸や、いま求められているような発達の段階を持っていたなあという思いはありますか?志とも言えると思います。

若いころからそういうものを持つのはなかなか難しいと思っているんですが、実際に中学生や高校生がそれを持つことはできるんでしょうか?


宮原:深江先生は「軸」という言葉を使っていますが、たぶんおっしゃっているのは、強力なものではなくて、おそらくほとんどの人が持っているものだと僕は理解しています。

例えば、ずっと不登校の子や学校をやめてしまうような子がいます。じゃあその子に軸がないかというと決してそうではありません。

学校に来ることができていなかったある男子生徒のお母さんと面談したとき、「あの子は看護師になりたいと思っている」と言っていました。他の先生方は、彼は社交性もないから向いていない、嘘だろうと思っていたようです。

僕は彼に「なんで看護師なの?」とカウンセリングを始めました。しばらく続けると、「おばあちゃんや子ども、人の世話をするのが大好きなんです」と笑顔で答えてくれました。人が好き、コミュニケーションもただ苦手なだけに見えるけど、本当は人と関わることが好きだったんです。だから余計に不登校がつらかった。この話をしながら彼は泣いていました。

カウンセリングを繰り返していくとその人が本当に求めているものや、その人が嬉しいと感じるツボがわかります。それを探すのが僕らの仕事だと思います。


中嶋:生きる力や軸というのは、自分はそれが好きなんだとか、感動した体験とか、これが喜びなんだというのを知る機会を得ることでもあるということですね。


宮原:適性検査にもいろいろありますが、それでわかる結果より、他者と関わる中でわかった自分の方が軸を正確に表していることが多いように感じます。


和田:自分のツボを自分で知るというのは大事です。


中嶋:自分のツボや、自分はどういうものが好きな人間なんだと知るというのが、一つ重要な過程だということですね。


和田:それと、世の中は全部変化していくものだということを心構えとして持つということ。

たかだか18歳の時に自分が考えたり決めたりしたことなんて、絶対ではありません。私自身こんなに長く生きていても、自分の将来についてずっと悩んでいます。

私の父も70歳のとき、自分の今後の段取りを一生懸命話していました。そのときに、「ああ、自分もこうやって死ぬまで段取りをやっていくんだな」と思いました。

10年後20年後は自分でもわからないし、どっちに行く、どう転がっていくというのも変化に任せるおおらかさみたいなものがほしい。

だから自分のツボを知る一方で、「なんとかなるわい」というような太さが必要なんじゃないかなと思います。


下田:数年前の進路指導は、固めさせようという方針が強かったです。今でもそういう指導はありますが、そうじゃないでしょう、と思います。

突き詰めるわけでもなく、適当に決めるわけでもなく、自分がどう考えているのかを振り返る手段を、面談しながら教えていっているという感覚を私は持っています。


和田:一回、自分で一生懸命考えて、こっちに進むんだと決めた経験があったら、次にまた人生の踊り場に来たときにも自分で選択ができると思います。


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中嶋:段取りという言葉がでてきましたが、段取りして未来を描くことが楽しいと思える状態を作ってあげるのが大切なのかなと思いました。その段取りがずっと続いていくわけだから、それ自体が楽しくなければ嫌になってしまうのかなと。

そうなると、明るい未来が描ける状況や状態が、キャリア教育の中で大切なことの1つなのかなという印象を受けたのですが、いかがですか?


和田:ざくっとでいいんじゃないですか。


深江:あまりきっちりしようとすると、それがまた不安にさせてしまったり…


和田:「あんたが言うところなんか行くもんか!」という気持ちになってしまったりね。


深江:7月9日も「安全安心の場」の話が出ましたが、社会は安全安心の場ではないからきっちりしないとだめだ、ちょっとでもずれたらだめだ、と思ってしまうこともあると思います。

そんな中でも何か踊り場に来た時に、自分はこういうことを大事にしたいんだと思えるベースみたいなものを持たせたいなと考えています。

宮原先生が社会を安全安心の場にしないといけないというお話をしていましたが、その通りだと思います。


宮原:でも、一時的に不安な状態というのはいいんです。

自分の軸というのは、人と関わらないと描けません。

人と関われば、ある種の焦りのようなものが生まれ、前に進みたいと思うようになります。その瞬間、人間はどうなるかというと、結構な確率で不安に陥ります。その不安は悪いものではありません。生徒が不安になっていると、僕は「よっしゃ来たな」と思っています。

不安に陥った生徒はこのままではいけないと焦っていろんな人からの情報収集を始めます。それは必死に前に進もうとしている状態です。

そうなる前に多くの進路情報を提供しても、生徒は受け入れてくれません。お腹がすいていないときにどんなおいしい御馳走を見せても食べたいと思わないのと同じです。不安であるのはお腹がすいた状態。情報がほしいと懸命に動き始めたときこそ情報提供、社会連携のタイミングです。

中学校の職場体験や高校でのインターンシップが100%機能しているかというと、必ずしもそうは言えないと思います。なぜかというと、お腹がすかないのに無理に参加させられているケースもあるからです。それはそれで体験にはなるんですけどね。


キャリア発達において重要な要素

中嶋:キャリア教育の段階という話になってきたので、次のテーマに移ります。

続いて、みなさんが重要だと思うキャリア発達の要素を書いていただいてよろしいでしょうか。

ちなみに文科省が4領域8能力というものを示していますが、そういうことですかね、西田さん。


西田:心理的な発達もあれば思考的な発達もあると思います。そこも含めてみなさんの考えにお任せします。


宮原:力であったり特性であったりするでしょうね。


中嶋:例えば学校現場から離れたところで考えると、「両親からの愛情」とかでしょうか。


西田:もちろんそれも考えられますね。愛情や、それによって生まれる信頼など。


宮原:それは幼児期においては絶対的に必要なものですね。それがないと発達はないです。


西田:下田先生がいつもおっしゃる論理思考もそうだと思いますね。


下田:なるほど。私はキャリア発達を促すために必要な要素ということで考えました。それは「対人関係」「自分が伸びたいと思う心、力」です。それがあるときに、キャリア発達が促されるのかなと思います。

人との関係の中で摩擦が起こったり、悩んだり、失敗したり。じゃあどうやって解決したらいいのかと考えたときに、何か新たなものをやろうとすべきです。わかるようになりたいとか知りたいとか、こうなりたいとかいう気持ちがあるときに成長、発達するのだと思います。


和田:私は、自分らしい生き方をするためには、自分に正直になることが一番大事だと思います。人が、世間がどう言おうと、ものさしや価値観はあなたの中にある。

そして自分の中にあるものを外に出す。決して無理に世間に合わせてはいけないと思います。だから、「あなたはどうしたいと?」という問いかけが大事だと思います。


古賀:私は「好きなこと嫌いなことの認識」と書きました。

大学生の前なので言葉を選ばないのですが、「お前たち不感症になっとらんかー?」とよく言っています。

不感症はちょっと手ごわいです。これが好き、これ嫌い、という感覚はとても大事で、和田先生の素直になることと同じだと思います。学生には、就活生になったとたんに急に物分かりがいいふりをしなくていいということもよく言います。

好きなもの嫌いなものの認識がベースにあって、お手本や憧れの存在が発達の助けになるんだろうと思っています。


宮原:私は「コミュニケーションの自信」「好奇心」「貢献心」「責任感」と書きました。

さっき仕事がうまくいかなかった生徒の話をしましたが、その子たちが何に悩んでいたかというと、対人関係なんですよ。これで悩んでしまったらもう仕事になりません。

だから必要なのは、コミュニケーションの「能力」ではなく「自信」だと思っています。自分はコミュニケーションができるという「自信」があればいい。

その自信さえあれば入ってくる情報量は増しますし、何より周囲との関係で自分の軸が見えてきます。

好奇心というのは心理学者のクランボルツさんのハップンスタンス理論から引用しました。夢を叶えるには好奇心を持ち続けることが必要ということです。

「他人の喜びを自分の喜びとして受け取ることができる感覚」である貢献心「物事を最後までやり遂げないと気がすまない感覚」としての責任感は、コミュニケーションや対人関係の自信から生まれるものであり、働くのに欠かせない根源的な要素と考えています。


深江:私は何も起こらない平坦なままではキャリア発達としても何も起こらないと思って、「失敗・挫折・うまくいかないこと」と書きました。

例えば看護師になりたいけど人とうまくしゃべれないという人がいたとしても、その苦手なことも意識ができていれば、自分がどうすればいいか知ることができます。

でもこれはちょっとマイナスな言葉なので、「摩擦」という言葉に変えたいと思います。この会の前に、古賀さんがインターンシップの事前研修で「他者との摩擦の中でしか自分は見つけられない」ということをおっしゃっていると聞いて、これが浮かびました。

異なる価値観の人と出会っていい刺激を受けるということもあるでしょうし、自分の中のちょっとしたマイナス部分に気づいてどうにかしたいと思うこともあるでしょう。「摩擦」というのはとてもいい言葉だなと思いました。


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中嶋:キャリア発達の重要な要素として共通していたのは対人関係、コミュニケーション、摩擦、お手本。やはり人との関わりが増える状態になるというのが一つ、キャリア発達の要素として重要だということになるのかなと思います。

和田先生のおっしゃる“ものさし”というのも人と関わる中でできてきたり、それがあるからこそ摩擦も乗り越えられたりすると思います。

そういったことに関して、最近の子どもたちと昔の子どもたちで違いってあるんでしょうか?


宮原:やっぱりSNSでしょうね。


中嶋:それによってリアル空間での対人関係の構築が弱くなっているということですね。


宮原:今の子たちの多くはリアルでの対人関係はあまり得意でなく、SNS上では「空気読みすぎ」という現象が同時に起こっているんです。

いまの高校生は、入学前に100人規模での新入生同士のライングループができていて、実際に顔を合わせる前から、SNS上では友達であるケースは珍しくなくなっています。

これで何が起きるかというと、対人関係のレベルが一気に上がります。100人規模でのライン上に書き込むのはなかなか勇気です。空気を読むんですよ。すごく丁寧、引きの姿勢から入っていくんです。


和田:気を遣いまくりですよね。


宮原:そう、だから摩擦がないんですよ。


古賀:そんな環境から上がってきた大学生とたくさん関わると、上手にリアルのコミュニティを避けて、そのストレスを回避する力だけえらくついているなあという印象を受けます。基本のコミュニティ、バイト、大学と最低限の付き合いをして…というふうにストレスを回避するのが上手になっています。

ツイッターのフォロワーが何千人というような学生もいるんですが、その子にじゃあイベントをやるから友達を30人連れて来いと言っても、1人2人すら連れて来ることができない。

そういうSNSのつながりと現実での結びつきは全くの別物ですよね。

昔だとそれくらいのリーダーシップを発揮するやつが笛を吹いたら理由抜きにして人が集まったり。そこが本当に違っていますよね。


和田:徹底的なリスク回避ですよね。


古賀:だから大人と話すときにも、今この発言をしたらたぶん正解、ウケる、無難だ、ということを判断する力は実に見事ですよね。正解を置きにくるんです。そこが残念。


下田:だからこっちがズカっと入っていったら諦めますよね。


和田:リアルの摩擦や失敗やぶつかり合いが、相対的にものすごく価値をもちますよね。ネットやオンラインでできないことは、学校での生の交流やぶつかり合いではないかなと思っています。


深江:ネットとリアルについてのディスカッションをしたときに生徒が話しているのを聞いていると、こんな話がありました。

全く知らない人がSNSでつながってきて、いきなり自分の進路の悩みを相談してくる。その人はもちろん会ったこともないしどこに住んでいるかもわからない、という話です。

相談に乗るにも相手のこと知らないじゃない、と私が言うと、かえって何も知らない人からアドバイスをもらうほうがいいとその相手が言うそうなんです。すると周りの生徒も「ああー、そういう人いるいる」と言うんです。

それが、私が想像する対人関係と全然違っていてびっくりしました。

どういう心理なのかを生徒と話したところ、相談はしたいけど相談するのがこわいのかなとか、さらけ出すのがこわいんじゃないかとか、顔が見えないからこそいいと感じるのかもしれないというような意見が出ました。


和田:生での交流がどんどんへたになっていくという感じですよね。


中嶋:そんな中で和田先生がおっしゃっていた「自分に正直になる」ということをリアルの空間で掲げることって、かなり難しいんじゃないかと思いました。どうすればそれを持つことができる教育や施策ができると思われますか?


和田:私は問題が発達すればするほど、オンラインでできないことは生の交流になると思っています。例えば体育の授業や体育祭、そういうのが生のぶつかり合いですよね。そこでそんなに遠慮していてどうするんだと背中を押して、いっぱい失敗をさせることかなと。

それと、あなたはあなたでいいんだよと認めることや、そんなに人に合わせずに、自分はこう思うという部分や自分のリアルを肯定すること、それがとても大事なんじゃないかなと思います。学校現場の中でそういった機会を増やしていくということですね。


中嶋:アクティブラーニング、協働、社会との連携というところが有効だということになりますかね。


学校の現場でできること

中嶋:では続いてのテーマに移りたいと思います。

ここまで話に出てきた「これが大事だ」ということを、どういうふうに学校で実践できるのかを書いていただきたいと思います。


古賀:まず、それぞれの教科で社会とのつながりを意識して授業を進めることです。

白々しく言うわけではなくて、これが実はこんな風に社会とつながっているということを、子どもたちが常に感じるようなかたちをとる。それが本質だろうと私は思っています。

あともう一つあるとすれば、様々な場面でのいろんな役割を、子どもたちにしっかり認識をさせること。上手か下手かは別にして、自分が役割を担っていると感じる。そういうことを進めることによって、ずいぶんといい方向に進むのではないかと思います。


宮原:和田先生がおっしゃっていた通りなんですが、「ありのままを出させる教育」。授業は当然そうあるべきですが、一番わかりやすかったのは深江先生の授業ですよね。

あとはキャリアカウンセリングです。本当はどうなの?というのを引き出して自己を確認していく作業です。とにかく個人でもグループでも、生徒同士でも、先生対生徒でも、先生同士でも、ありのままを出させるというのを徹底すると、学校中が自然に語り合える集団になると思います。


深江:先ほどの摩擦を増やすということに関連して、生徒同士が意見をぶつけるというと言い方が強いかもしれませんが、話し合える場を増やしたいと思います。

今までも部活や学校行事の中でそのような場はあったと思いますが、授業は生徒同士が異なる意見を言い合う場ではあまりなかったと思います。それを授業も含め学校教育の場全体で自分の意見をありのまま言い合えると、摩擦が増えるだろうと思います。

別の勉強会のときに、大学生が「もっとディベート力をつけた方がいい」と言っていました。すると社会人の方が「でも社会に出ると相手を打ち負かして仕事がうまくいくことなんかなくて、落としどころを探さないといけない。僕はディスカッション能力が重要だと思うよ」と言っていました。

これと同じで、部活や学校行事でも、意見が対立しても落としどころをみんなで探してきたと思います。

だから授業でも摩擦というより、異なる意見の中で認め合える部分を見つける。そういうことをやっていきたいと考えました。


和田:私も同じようなことを書きました。「生のぶつかり合い」。授業の中でも学校行事の中でも、これをセッティングすることが大事かなと思います。いわゆる体験活動ですね。全部を体験に変えていく。

そして、そのプロセスを承認してやる。出来上がった結果や議論した結果の良し悪しではなくて、頑張っていたあなたがすごいと思うよと認める。

わかりやすく言えば大学に合格することが素晴らしいんじゃなくて、それに向かって行ったあなたの根性が素晴らしい。そこをほめてやると、結果が出ない人生のときにもその子は先に進めるんじゃないかなと思います。


下田:対人関係を深める仕組み、仕掛けをつくることです。

行事の中では文化祭や体育大会などがありますが、それ以外の場面でも、もっともっとそういう仕掛けをつくっていく必要があるんじゃないかと思います。もちろん授業の中でも。

アクティブラーニングも含まれるでしょう。そう考えるとアクティブラーニングもキャリア教育の側面だということがよくわかります。


中嶋:そのような部分が挙げられているということは、逆に言うと子どもたちはそこが苦手だということになると思います。

SNSの発達も関係しているかもしれませんが、学校で本音を言うことができなくなっている生徒たちの生の声や本音は、どういうふうに実践の場で導き出していらっしゃるんでしょうか?

具体的にどういうことをするとそういう場ができるんでしょう。


和田:それはもう安全安心の場をつくることだと思います。そこが緊張の場で正解を言わなければならなかったり、立派なことを言わないといけなかったりしたら、みんなきれいな答えをつくって、澄ました顔で座っているでしょう。

ここでは失敗してもいい、ずっこけてもいい、かっこ悪い自分を出してもいい、という雰囲気づくりが必要です。そのためにはやっぱり教師の方が本音でぶつからないと。教師が建前を話している間は、生徒たちもきれいな建前で返してくると思います。


古賀:この夏、カリフォルニア大学バークレー校の学生を10人呼んで、高校生42人と4泊5日のサマーキャンプをやりました。それは語学だけでなく人間力も含め、様々な摩擦が起こるだろうということで実施をしました。

すると、高校生たちが帰るときに泣くんです。みんなと別れたくなくて。

ある女の子に「泣いてるけどどんな気持ち?」と聞いたら「この場が終わるのがさみしい」と答えました。

「それはどうして?」と聞くと、「学校では、自分の熱い思いを言うと茶化される。でもここではそんなこと言ったって誰も笑わないし茶化さない。本音で一緒にいられる。学校に戻りたくない」と。

だからこういう場をつくってあげられてよかったと思いつつも、学校に戻るとそんなことになってしまうというのは、我々大人としてどうにかしないといけないなあと思いました。


西田:それこそ、その子にとっての安全安心の場だったんでしょうね。


古賀:学校では、一人が「くすっ」とバカにするとそれが一気に広がってしまうんですよね。


和田:そして周りから浮いた感じになると、いじめのターゲットになってしまう。だからとにかくいじめのターゲットにならないよう、全神経を集中させて振る舞っている状態。


古賀:その女の子の言葉は本当に衝撃的でしたね。


中嶋:実際に実践されている、そういう場づくりの方法は何かありますか?


深江:まずは小さいペアをつくって、自由に話せるようにします。

とりあえず、何に関してもやたら授業の中で話させるようにしておきます。今までだったら誰かを指名して答えてもらうようなことを隣の人と話してもらったりして、とにかく話すのが自然な場にして。「それ面白いね」と盛り上げたりして。

さっき「茶化す」というお話がありましたが、それにはちょっと嫉妬があると思うんです。

熱くなれない自分が嫌だとか、熱くなりたいと思っている子ほどそういうふうになってしまうこともあると思います。

そういう子たちも冷めずに入ってくることができるように盛り上げたり、他愛のない話をしながら進めたりします。うちの高校は真面目に勉強しないといけないと思っている子が多いので、力を抜いてもらうようにしています。

そういう細かなところで日常的にしゃべらせると、静かにしてほしいところでもザワザワしてしまうこともあります。

でもそういうときも「うるさい」ではなくて「なになに、私に聞かせて」という感じで入っていくと、だんだん邪魔になるような話し方ではなくなってきます。


下田:私が大事だと思っているのは、古賀さんが書かれている「役割」ですね。集団における自分の役割は何なのか、一人の人間にもいろんな役割がある、ということを、きちんと認識させて果たさせることが大事です。

学校にはそういう場面がたくさんあるんですけど、それを促してやる。

でも前面に出て来いと促しても、「出ていきたくない」と言う生徒もいるんですよ。その子たちに対してどうするか。

何も表現しないことがその子の表現なんだということを私たちがどこまで認めきれるか、です。


社会連携の可能性

中嶋:では続いて、社会連携の可能性について考えていきたいと思います。

学校の現場だけではなく社会や企業が連携することにより、摩擦や対人関係、自分の選択肢が広がる機会ができると思います。

そのためにどういうことができるか、どういうことをするべきか、何かお考えはありますでしょうか。


宮原:一つは「生徒が教える」ことです。中学生、小学生、保育園児を高校生が教えに行くんです。そうすると生徒は元気になって帰ってくるんですよね。和田先生がおっしゃるインテイクスイッチをいれる仕組みが大事だと思います。

「本音を引き出すナナメの関係」というのは、NPO法人のカタリバのようなものですね。ワークセッションを高校生だけでやると、さっきの古賀さんの話にもあったように格好をつけてしまうこともあります。そこに大学生が入ると、自然に語りやすくなる場づくりができます。

それから職場体験や職業人講話です。これは対話型でないといけないといつも思っています。

インターンシップに行っても作業だけして終わったという話はよく聞きますし、職業人講話でもあこがれの対象になるような素晴らしい話を聞くことはできても、なかなか双方向にはなりにくい。ここに改善の余地があります。


深江:私は「ゆりかごから墓場までつながるキャリア教育」と書きました。

先日、研修の一環で校区内の保育園に行ったんです。

保育園に行くと、びっくりするくらい園児が素直で、3歳児なのにこんなに聴き分けがいいんだ、と思いました。初日はしつけがきちんとしているのだと感心していたんですが、2日目には園児の行動がきっちりと決められていることに気が付きました。

もちろん保育園なので親御さんがするしつけの部分を担っているということがあるのだと思いますが、たくさんの園児がいるのでどうしてもそれが“規律重視”というかたちになっていました。園児が自由にできる時間がほとんどないのです。

今の日本社会では、しっかりとしつけがされて、自分のことは全部自分でできるのが素晴らしいと思われているのかもしれませんが、自由な発想が一番あふれている園児のときに自由にできる機会が減っていることはいいことなのかなと思いました。

今は小中、中高、という隣同士のつながりでは考えられていますが、こういった人を育てていこうといった一つの目的のもとで幼稚園・保育園から会社・地域までつながるようなものがない気がします。

日本の教育全体が、地域の大人も巻き込んでつながる。SNSも、うまく使えばできると思います。どうにか何か広げていって“ゆりかごから墓場まで”の大きな連携ができないかなと考えます。


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古賀:私は、社会の様々な事象に対して、どんどん仮説検証型の学びができるようにしなくてはいけないと思っています。

その型はたくさんあって、今うちでは実践型インターンシップをやっています。企業には、本当はやりたいけどいろいろな事情によってできていないということが山ほどあります。その中にピュアな若者たちが入ってきて、仮説検証で進めていくのです。

そうすると、経営者たちがいろんなしがらみでやれていなかったことの本質が生まれたり。

そこには小学生であれ中学生であれ高校生であれ、絡んでいくことがあり得ます。

また、テーマを企業でなく広く社会に移しても、地域の過疎化の問題や農業の後継者がいない問題など、山のようにあります。

私は自ら問いを立てる力、問い立ての習慣をつけてほしいと思っています。世の中の「困りごと」は全て題材です。世の中の困りごとに向かい合ってみましょう。

例えば、自分の家を振り返ったときにこんなことが思い浮かぶとします。最近おじいちゃんおばあちゃんの物忘れが激しくて困っているなあ。自分が小さい頃、もっと小さな妹がいる中でお母さんは仕事をしないといけない状況だったなあ。

これだけでも仮説検証型の学びができるし、相当な問い立てができます。そんな世の中の困りごとと学校のキャンパスがスーッとつながっていくと、社会連携教育には果てしない可能性があるなと思います。

それは特別な「キャリア教育の授業」というわけではなく、国語の時間、数学の時間の中でもこういったことに触れていけるんじゃないかと思っています。


和田:私は「多様性の許容」と書きました。学校の中に学校業界じゃない人がたくさん入ってきて、そういう学外の人と出会わせるということがものすごく大事かなと思います。「チーム学校」というのを聞いたことがあるかもしれませんが、これはわかりやすくいうと“がめ煮”みたいなものかな。

いろんなタイプの人がいて、それぞれの味でまとまったらものすごくいい味になるという。

よく言われるように、やっぱり学校って閉じていて同質の集団で。生徒は同じような思考パターンの人たちから育てられているわけです。だからいろんな人が学校の中に入っていくことで、生徒が「いろんな人がいて、いろんなことをやっていて、人はそれぞれなんだ」と感じてくれればいいなと思っています。


下田:私は「大人との対話を増やす」と書きました。和田先生と同じようなことです。

今の子どもたちは、大人との会話というと親、学校の教師…。それ以外にはないのではないか、というくらいです。だからもっと日常の中にそういった機会を増やせばいいのではないかと思います。

何年か前に「伝える土木」といって土木関係の方々の集まりがあったんですが、その方たちがもっと高校生に教えたい、土木の良さを伝えたいと言ったので、後日そのような機会が設けられました。それに参加した生徒に感想を聞くと、とても楽しかったと言っていました。こんなに話を聞いたことは今までなかったと。

大人との対話を増やす仕掛けとしてそういうものをもっと作っていければいいなと思っています。

うちの高校ではなかなか生徒を外に出してのそのような機会がないので、もっともっとそういうことをしていくと対話が増えていくと思います。


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中嶋:今みなさんが言ってくださったことができていくといいなと思ったんですが、さっき和田先生の話にあったように学校には閉じられている部分があったり、カリキュラムや目標に縛られていたりすると思います。

今みなさんがおっしゃっていたような、社会性や人間力を育むような取り組みが学校単位で設けにくい現状はないのでしょうか?

会社との連携や社会貢献活動の導入など、ある程度自由にできるのですか?


宮原:できると思います。

世の中の理解は、10年前20年前と比べるとはるかに深まっています。20年前に同じことを言ったら「何がしたいの?」と言われそうですね。


中嶋:なるほど。ということは個々の先生のやる気や学校のやる気次第でできる状況にはなっているということですね。

じゃあどんどんやっていってほしいです。学校ってそういうことがやりにくい現場なんだろうなというイメージを持っていたんですが、今はそういうわけではないんですね。


下田:でもやっぱり、どうしても苦手としている人たちはいますよね。


これからのキャリア教育が向かう方向

中嶋:最後のテーマは「これからのキャリア教育が向かう方向は?」です。これがまとめになります。 こうなると思う、こうなればいいな、こう変えていこう、ということを書いていただければと思います。


古賀:自分の方向性はこれです。「キャリア教育」「アクティブラーニング」という言葉がなくなる

つまりキャリア教育やアクティブラーニングが当たり前の状態になって、この言葉が死語になるということです。


和田:これは本当に目指すところですよね。これが当たり前で、もう誰もそんなこと言わなくなる。そういえば昔はギャーギャー言いよったねえ、みたいな。


宮原:そういえば平成19年に、キャリアデザイン学会で当時の会長さんだった渡辺美枝子先生がレセプションで一言、「私たちの目標は、将来『キャリア教育』という言葉をなくすことです」と言われ驚愕しました。

キャリアデザイン学会の会長さんがですよ。もう大拍手でしたね。


古賀:私はいくつかの大学にキャリアのアドバイザーのような立場で入っていますが、通常の学問の領域から「キャリア」がぽっかり浮いてしまっていると感じます。

「キャリア」が日常の学校の活動や学問、いろんなものと解離していて、キャリアセンターが就活のためにあるというような状況もあります。打ち上げ花火的と言いますか。

だからものすごく違和感があります。本当はそれぞれの専門科目や進路指導、すべての中に入ってしまっているものなのに。

ただ、今の状況すら肯定的に受け止めて、そのうちキャリア教育という言葉がなくなる、当たり前化するようにしたいなあと思います。


中嶋:そのための取り組みというと、先ほどの社会の連携につながっていくようなものでしょうか。


古賀:そうですね。ただ自然体で入り混じることに尽きると思います。

和田先生がおっしゃっていた多様性というのが社会の大原則なので、学校という特殊な世界では、例えば文科省からの何かの指導の中でずっと過ごしていくだけではなくて。学校には実社会がこうであるということも受け止めていただいて、壁を薄くしていただく。

我々企業、産業界のほうも、学校の先生方が企業インターンシップできるくらいもっと懐を大きくしていきたいなあと思っています。

我々がキャンパスにお邪魔させていただくこともあれば、子どもたちや先生方が実社会で何かを体験することもある。そんなふうに少しずつ入り混じって、両者が「ああ、そうだよね」と本質を理解している、そんな状態をつくっていきたいですよね。

そうして学校と社会が当たり前に行き来している状態ができてくると、だんだんとその目指す方向が実現すると思います。


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宮原:キャリア教育という言葉ができたときに、文科省も、経産省も、厚労省も、みんな乗っかったんですよ。でもそれぞれ視点が違うんです。

例えば文科省は発達の視点、経産省は(というよりは一般社会は)人材育成論の視点から「力」に目を付けました。社会人基礎力が一番わかりやすい例です。一時期、流行りましたよね。やたら「○○力」というのを羅列される時期でした。

「○○力」というのはある意味、社会からの要求です。それを多々並べられてもじゃあ本当にそんな人物を育てられるのかという疑問がわいてくる。でも誰もそれに核心的に答える人はいなかった。

教育現場からすれば、どんな人間、子どもを育てたらいいのか本当に困りました。無理でしょうと。

あの時期はまだ学校と社会に解離があったと思うんです。でも今はそれほど言われなくなりましたよね。両者がくっついてきている時期なのだと思います。今の学生はこういう状態、社会はこういう状態、だからこういうふうに育たないとまずい、というふうに自然につながってきている。

古賀さんの意見に100%賛同しますね。私の今日のまとめも「キャリア教育、アクティブラーニングという言葉がなくなる」です。

それと私の理想は、社会全体がキャリア教育の装置になること。全体が機能して教え合い、高め合う、全ての組織がそれぞれに教育的役割を担うようになればいいなと思います。


下田:私も同じ考えです。明確にすぐ浮かんだ言葉は、「言わなくてもよくなる」です。私たち、先生たちの中にキャリア教育が根付いてしまうということです。

今の若い先生たちがアクティブラーニングをずっとやっていくと、いずれはそれが普通の授業である状態になって、特別「アクティブラーニングの授業」と言われなくなる。アクティブラーニングという言葉がなくなる流れはこうです。

ではキャリア教育がどうかといったときに、今までと同じことをし続けても、いつまでたっても「キャリア教育」をしないといけないような気がします。

7月9日で伝えられたようにアクティブラーニングの中にキャリア教育の観点・意識をもつと、キャリア教育も自然になっていくんじゃないかなと思います。学校教育全体がキャリア教育だというような。


西田:今のみなさんの目指す方向に一番近い学校ってどこかあるんですかね。


和田:学校の発達段階というのがまだみんな赤ん坊みたいなところだし、なかなか一気にそうはならないから、スモールステップでやっていくしかないかなと思います。

古賀さんは何年後くらいにこうなると予想しますか?


古賀:どうでしょう。感覚的に10年くらいの時間がいるのかな。

私はいま中学校に起業家を連れて行っています。彼らが一方的に話して終わり、ということにならないように、マイクはずっとファシリテーターが持っていて、起業家は話題提供者という位置づけでおいています。子どもたちの質問ありきで対話をするのです。

もちろんそれは学校も初めての体験だし、起業家たちにとっても初めての体験です。 「俺の人生語っちゃろう」という発想だった経営者も、そこで子どもたちの純粋な質問などをいろいろ聞いて浄化されていくんですね。

学校も企業も成長途中です。どちらかが正解を持っているなんてことはあり得ません。

まだまだ時間はかかるでしょうが、こういうふうに入り混じって、相互作用でお互いが浄化されたり成長したり、そういうことを繰り返して多様性に気づいていけたらと思います。

お互いの意見主張や事情はあるけれど、対話は絶対にあきらめてはいけない。それをあきらめなければ、目指すものは絶対に実現します。

良質な対話ができる状態を、大人も子どもも一緒につくっていきたいですよね。

そのときに大事なのは、子どもをもっと大人扱いすること。子どもと思って対話をするんじゃなくて、もっと大人扱いして、わかんないだろうと思っても対話をすることです。


中嶋:それを実現するには、やっぱり小さい単位から始めていった方がいいんですかね。例えば福岡市だったり城南区だったり…


和田:いやいや、半径5メートル

それぞれの先生たちが半径5メートルずつくらいの中で、例えば深江先生が言っていたように授業の中でちょっと話をする時間をたくさんつくるとか。

多様性の出発っていうのはそこからじゃないかなと思います。

「あなたはそう思ってるのね、私はこう思う」というような本音、対話も、そこから少しずつじわじわ広がっていくしかないなと思いますね。

また、肩に力いれてガンガン行くぞというのではなくて、普段の中で浸透していけばキャリア教育という言葉を使わなくてもよくなる状態になると思います。


深江:私は社会全体をつなげるために、学校を飛び出し、今まで学校になかったものを取り入れていきたいです。

いまちょうど生徒とやっている評論の中に、「量的な時間がいくらあっても真理にはたどり着けない。真理にたどり着くためには異質なものに出会うこと。それによって意識の断層が起こり、時代とアジャストする中で必ず人間の知性は真理にたどり着く」という記述がありました。

大きな価値の変化が起きている中で、異質なもの、今まで自分が体験しなかった、まさかそんな考え方が、というようなところに、生徒と一緒に飛び出していきたいなと思います。


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中嶋:では最後に西田さんから一言。


西田:皆さんが同意している「キャリア教育」「アクティブラーニング」という言葉がなくなるということに尽きるのかなと思いました。

僕はそこまで考えが至っていなかったのですが、本当にそういう社会が生まれたらいいなと思ったので、僕にできることはそういう議論を先生方としていくことかなと。

まずは一校でも、キャリア教育が当たり前になっている学校ができたらいいなと思います。

また今後もご指導いただければと思います。本日は本当にありがとうございました。