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道徳教育について 〜徳目についての考察〜

進路指導の土台作りとしてのキャリア教育の一環として、「生き方・あり方教育(Be-Education)」があると、先日書きました。

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その「生き方・あり方教育」の手段の一つとして、”道徳教育”があります。
今回は、この”徳”について深町悠氏が整理したものをご紹介します。



徳とは

「徳」の解釈

【広辞苑】
①道をさとった立派な行為。善い行いをする性格。身についた品性。「道徳・徳性・人徳・美徳」徒然草「人に本意なく思はせて我が心を慰まん事、徳に背けり。」
②人を感化する人格の力。めぐみ。神仏の加護。「徳化・恩徳」

【新大字典】
字義…善行、正義、道徳など、人間としてのすぐれた精神的な力/恵み。恩恵/善い教え。教化。感化/人間が生まれつきもっているはたらき。本性/功用/威望。名望/幸福/節操/利得/万物をはぐくみ育てる自然の力。四時の旺気/のぼる/乗る/恩を感ずる/星の名。塡星/徳をそなえた人。人格者/賢人。君子。
字源…行いが正しく高位にのぼること。転じて、善行道義の義。𢛳は直と心の合字。

徳目の解釈

五常(仁・義・礼・智・信)

儒教では、仁・義・礼・智・信の五つを「五常の教え」という。
孟子は、仁・義・礼・智の四つを挙げて「四端の説」を述べているが、それに信を加えて五常としたのは、漢の董仲舒の時からと言われている。

1.仁
【広辞苑】
①いつくしみ。思いやり。特に、孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。忠と恕の両面をもつ。以来、儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発現とみなし、一切の諸徳を統(す)べる主徳とした。封建時代には、上下の秩序を支える人間の自然的本性とされたが、近代、特に中国では、万人の平等を実現する相互的な倫理とみなされるようになった。「仁義・仁術・任侠」   字義…なさけ。おもいやり。あわれみ。愛他の情/いつくしむ。したしむ/あわれむ。恵む/しのぶ/ひと/人の心/道の枢機/人生の達道/果実のさね。

字源…体よりいえば理の原・一心の徳。用よりいえば行の綜・万事の善。道義の枢機。愛情・道義は人と人との間に起こることから、人と二とを合わせる。また、果核の中の生気あるもののこと。

【中国古典名言事典】
仁に里(お)るを美と為す。(論語 里仁)
(訳)仁をもって行動のよりどころとし、仁の道にはずれない心をもち、精神を仁の世界におく。これが人間として美しいのである。

苟(いやしく)も仁に志せば、悪しきことなし。(論語 里仁)
(訳)仁に生きるとは、純粋な心をもって行動することである。かりそめにも仁に生きようとするならば、その心に悪を生ずることはありえない。

我れ、仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。(論語 述而)
(訳)仁でありたいと望んだ瞬間に、仁はその人のものとなる。道は近きにあり。道徳の実践に深遠な原理も困難もない。かくなりたいと望んだ時、人はそうなりうるのだ。

仁者は其の言や訒(かた)んず。(論語 顔淵)
(訳)言葉には責任をもち、実行が伴わなければならない。だから、仁者はみだりに口を出さない。大言壮語などすべきではない。

仁を為すは己れに由る。人に由らんや。(論語 顔淵)
(訳)仁道は、これを行なおうと思えば、いつでも行なえる。仁を行なうのは自分自身であって、他人の力にたよるものではない。

切に問いて近く思えば、仁其の中に在り。(論語 子張)
(訳)教えを受ける場合には、自分の身に切実な問題として質問するがよい。また、問題を考える場合には、他所事とせず身近な事として考えるがよい。そうすれば、おのずからそこに仁の道を体得することができるものだ。(子夏の言葉)

人皆忍びざる所あり。之れを其の忍ぶ所に達するは、仁なり。(孟子 盡心下)
(訳)人は誰でも人に対して、こういうことをするには忍びない、こういうことを言うには忍びないという同情心があるものだ。ただその同情心の及ぶ範囲がややもすれば狭くなる。そこで、今まであの人にはこれ位のことはやっても差し支えないと平気に思っていた人に対しても、忍びないという同情心を推し広めていく、それが仁道である。

仁とは人なり(中庸 二十章)
  (訳)仁の徳を持っていればこそ人間である。人の人たるゆえんは仁があるからであり、また、仁の道こそ人の道である。

2.義
【広辞苑】
①道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。「仁義礼智信・義務・正義」
②利害をすてて条理にしたがい、人道・公共のためにつくすこと。「義士・義挙・義損金」

字義…人としてふみ行うべき道。みち。みちすじ。すじみち。のり。五常の一/君臣間でふみ守るべき道。五倫の一/物事の旨。わけ。意味/善い事。よろしき道。善い行い。儀に通ず/犠牲の精神/他人と血族のよしみを結ぶこと/仮の。実物の代用/めぐみ/つとめ/おのれの威儀を正す/よそおい/よい(よし)。道理にかなった。よろしい。正しい。適切な。

字源…我が威儀を正しく立派にする意。転じて、制裁のよろしきに合すること、理に適すること、人の履行すべき正道、のり・すじ等の意とする。仁が他人との関係を示すのに対し、義は性善の発露(善我)すなわち浩然の気と一致するものか。

【中国古典名言事典】
利を見ては義を思う。(論語 憲問)
(訳)人は利に迷いがちである。利に当面した場合、踏みとどまって、その利が義にかなったもの、道にかなったものであるかどうかをよく考えてみることだ。

義を後にして利を先にするを為さば、奪わずんば饜(あ)かず。(孟子 梁恵王上)
(訳)義ということを後回しにして、まず利を追い求めるということになると、結局は人のものを奪い尽くさなければ満足しないことになろう。

仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。(孟子 離婁上)
(訳)仁は人が安んじていられる住まいである。義は人が胸を張って歩くべき正しい道である。だから、この安宅を空家にし、この大道を避けるのは哀れむべきことだ。

為さざるあり、而る後以て為すあるべし。(孟子 離婁下)
(訳)してはいけないことは断固としてしない。そういう、流俗におもねらない、義に強い人にしてはじめて大事をなすことができる。

義とは宜なり。(中庸 二十章)
(訳)義とは、その時の宜しきに従っていくことである。
※仁は人をいつくしむ考えが強く、ややもすると情に溺れる。そこで、ある場合には宜しきに従って、それを断ち切ることもしなければならぬ。それが義である。

3.礼
【広辞苑】
①社会の秩序を保つための生活規範の総称。儀式・作法・制度・文物などを含み、儒教では最も重要な道徳的観念として「礼記」などに説く。「礼儀・祭礼」
②規範・作法にのっとっていること。「礼装・礼遇・失礼」   字義…敬うこと/いや(ゐや)。のり。国や社会の秩序をたもつためのおきてや慣習/五常の一。真心のあらわれとしての行い。れいぎ。作法/敬意を表する所作。おじぎやあいさつ/儀式/報謝/供え物。ご馳走/経書の名。

字源…心に敬い行儀に則を守る道で、人のふみ行うべきもの。この道は神を祭るとき特に大事なことから、示と豊を合わせる。豊は神前の供え物を象る。

【中国古典名言事典】
恭にして礼なければ則ち労す。(論語 泰伯)
(訳)身を持するに、恭しいことは貴い。しかし、それにも適当な節度がなければ、窮屈になり過ぎて、いたずらに身心を労することになる。

勇にして礼なければ則ち乱す。(論語 泰伯)
(訳)勇気があることは大事である。ただし、その勇気にも節度がなければ、乱暴な人となる。

己れに克ちて礼に復る。(論語 顔淵)
(訳)私欲にうちかって自我を没し、節度を守って社会と一体となる。これが善政を行なう仁の道だ。

礼に非ざれば視ること勿れ。(論語 顔淵)
(訳)非礼のものはできるだけ避けるのがよい。非礼になじみ親しむと、いつかしら心もその正しさを失う。それを避け謹むことが、仁道に至るゆえんだ。

礼と云い礼と云う、玉帛を云わんや。(論語 陽貨)
(訳)世間では、やたらに礼儀礼儀という。しかしその礼儀とは、形式的に金品を贈ることではない。どこまでも、うやまいの心がまずなければならない。

礼を知らざれば、以て立つことなし。(論語 堯日)
(訳)礼は社会に立つ人間の背骨である。だから、その礼を心に備え身につけない者は、世の中に立つことはできない。

4.智
【広辞苑】
①物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。「智仁勇・智慧・才智」
②賢いこと。ものしり。「智者・智将」

字義…ちえ。さとり/さとい。かしこい/賢者/はかりごと。たくらみ。謀略/しる。知に同じ。

字源…古文は知と于と白との合字。物事を明白にしること。于は言語、白は明白、知はしる義を示す。のち略して智とかく。

【中国古典名言事典】
之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知れるなり。(論語 爲政)
(訳)知っていることは知っているとし、知らないことは知らないと認める。それが、ほんとうに知っているということだ。

知者は楽しむ。(論語 雍也)
(訳)知者は流転の世相に誤りなく身を処し、さおさして楽しみ生きる。

知者は動く。(論語 雍也)
(訳)知者は機を見るに敏である。自然、世相に応じて変化する。

知者は惑わず。(論語 子罕(しかん))
(訳)知者とは物事の道理をわきまえた人であるから、どんな問題にぶつかっても、惑うことはない。

智に悪む所の者は、其の鑿するが為めなり。(孟子 離婁下)
(訳)智は人間に大切な徳ではあるが、それに注意しなければならぬのは、あまりにも小智をもてあそび、小さなことを詮索しすぎる幣があるからである。

知者は知らざることなきなり。当に務むべきを之れ急と為す。(孟子 盡心上)
(訳)知者は何でも知らないものはない。しかし知るだけよりは、当然何を務むべきかを悟る事がより急務だ。事柄には先後軽重の別があり、知るよりは行なうが先だ。

5.信
【広辞苑】
①欺かないこと。言をたがえないこと。まこと。「信義・忠信」
②思い込み疑わないこと。「信用・信頼・自信」   字義…まこと/しんずる。疑わない。まことと思う/まかせる/まことに/明らか。明らかにする/知る/慎む/しるし。あかし。効験/たより。おとずれ。つかい。使者。

字源…まこと。人の言にうそ・いつわりのない義。ゆえに亻(にんべん)に口ともかく。また、伸・身にも通じる。

【中国古典名言事典】
朋友と交わりて信ならざるか。(論語 學而)
(訳)友達との付き合いにおいて、根本的に大事なことは信義を守るということだ。果たして私は、その信義に不足するところはないだろうか。

信、義に近きときは、言、復むべし。(論語 學而)
(訳)道理にかなわない約束はすべきでない。それは、果たす事が出来ないからだ。(有子の言葉)

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり。(論語 爲政)
(訳)人間関係、人間の社会は信義に基づいて成り立っている。信義なくしては人間関係も社会も成立しない。だから、人として信義のない者は、良いとは認められないのだ。

民、信なければ立たず。(論語 顔淵)
(訳)信は社会存立の基礎であり、これが失われたら崩壊するほかない。為政者への不信、友人への不信、親子、兄弟、夫婦間の不信に終始するならば、 人は一刻も生きていけない。

信なれば則ち人任ず。(論語 陽貨)
(訳)信義に満ち、偽りのない人には他の人は安心して全てを任せるものだ。

信ぜられて而る後に其の民を労す。(論語 子張)
(訳)人民に仕事を課すには、その前に自らが人民の信頼を獲得するだけの行ないをするのがよい。(子夏の言葉)

五倫

下の五つは、聖王堯(ぎょう)が臣契(せつ)を司徒という教育の役に挙用し、人民に教えさせたものであるとされている。前文に「教うるに人倫を以てす」とあり、その後にこの項が出ているため、明代以後、これを「五倫の教え」と呼んでいる。

孟子は、民衆教育の必要性を説くために、聖人の堯と舜が大洪水の荒廃の中からいかに努力して文化の興隆をはかったかを詳しく述べ、その中で以下のように述べた。

人の道たるや、飽食煖衣し、逸居して教え無ければ、則ち禽獣にも近し。聖人これを憂え、契をして司徒たらしめ、教うるに人倫を以てせり。(滕文公上篇)
(訳)人の暮らしというものは、衣食にあきたり安住して、それで教育がなければ、禽獣にも近くなる。聖人の堯はそのことを心配して民を豊かにしてから契を起用して人倫を教えさせた。
→人民を徳に向かわせるためには、まず経済を安定させ、物質的精神的に落ち着かせた上で教育を行なう必要がある。

①父子親あり 親子関係は親愛を本(もと)としなければならない。→仁・孝
②君臣義あり 君臣関係は義理を本(もと)としなければならない。→義・忠
③夫婦別あり 夫婦関係は礼を本(もと)としなければならない。 →礼・分別
④長幼序あり 長幼関係は秩序を本(もと)としなければならない。→悌
⑤朋友信あり 朋友関係は信義を本(もと)としなければならない。→信


『孟子』では父子・君臣の順であるが、五達道という類似の言葉のある『中庸』では君臣・父子と順序が逆になって出てくる。

五つの者は天下の達道なり。(中庸 二十章)
(訳)君臣、父子、夫婦、朋友、長幼の五つの人倫は、達道、すなわち、どこにおいても守るべきもの、守って間違いのないものである。

ただし、孟子が意図していた訳ではないが、⑤以外は支配階層からの縦の人間関係であるとして、一般社会の封建体制の強力な背骨となる一面もあった。

心と徳

孟子の四端説

惻隠(そくいん)の心は、仁の端(たん)なり。
羞(しゅ)悪(うお)の心は、義の端なり。
辞(じじ)譲(ょう)の心は、礼の端なり。
是非(ぜひ)の心は、智の端なり。(孟子 公孫丑上)

惻隠(そくいん)…他者を見ていたたまれなく思う心。
羞悪(しゅうお)…不正や悪を憎む心。恥を知る心。
辞譲(じじょう)…譲ってへりくだる心。
是非(ぜひ)…正しいことと間違っていることを判断する心。

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※四端説にまつわる孟子の発言
よちよち歩きの幼児が井戸に落ちかかっているのを見つけたとする。誰もがじっとしていられず、駆け出すに違いない。 それは、幼児の親と親しくなりたいからではなく、村の仲間に褒められたいわけでもなく、助けなかった時の非難を恐れてるわけでもない。 これは、全くの自然であり、このじっとしてられない同情心のない者はもはや人間ではない。

→この「忍びざるの心」=惻隠
→他の三つについては具体的な説明はできていない。
→性善説を得た経験的根拠というよりは、性善説を論証するためにされたことさらな発言ではないか??

性善説と性悪説

①性善説…万人の本性は善であり、道徳的欲求は天命によって生まれながらにして人に内在するという孟子の説。また、教育や修養によって、人々の内面的な自覚を促し、その徳を他へとおし広めていくことで完成するとされている。

性善説の矛盾点・・・現実社会にはびこる悪はどのように説明するのか!?
これに対し、孟子は、悪は我々の外部(環境)にあり、それに我々の感覚器がひかれることによって、内なる善性がくらまされていくと説明している。

→しかし、悪にひかれるという事は、人の心の内部にも悪に傾向する要素がないのはおかしい。

②性悪説…人間の本性は悪であって、善は教えによる感化(師法の化)や社会規範(礼儀)による指導といった後天的な矯正(偽)の結果であるとする荀子の説。

性悪説の矛盾点・・・善の起源はどこにあるのか!?
荀子は、悪である本性を後天的に矯正にすることによって善が生まれるとしているが、そもそも本性が悪である人の世に師法や礼儀といった善の規範がどうやって生まれたのか説明できていない。

上記のように
孟子・・・人間の内心にある貴重な道徳的欲求を重視
荀子・・・利益を追求する感覚的な欲望(それを矯正する外的要素)を重視

↓ 立場の違いはあるが・・・

あるべき人間の姿を道徳的なものとして描き、その道徳的人間への導くための学説として説かれている点では一致

朱熹の心のイメージ

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本然(ほんぜん)の性は四端(仁→惻隠、義→羞悪、礼→辞譲、知→是非)として、気質の性は七情として現れる。

上図のように、未発段階で本然の性と気質の性のバランスがとれている状態を、已発段階で七情の節度が守られている状態を和という。また、本然の性が気質の性に邪魔されず完全に発現することをという。

逆に徳の乱れている状態とは、本然の性が気質の性によって曇らされて徳が発現されない(欲が上回っている)状態であったり、喜怒哀楽などの感情の出し方に節度のない状態をいう。

朱熹は、外物に対処する際の感情を統御するために、物と接する以前の時点において、あらかじめ心を修めておくというの修養法を説いたのに対し、陽明学の王守仁は、外物と接触するその現場において自らの心を正しくもっていくことを実地に身につけていく事上磨錬を説いた。

大学「三綱領八条目」

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三綱領(大学の目的)
1.明明徳(明徳を明らかにす)…天から授けられた徳性、すなわち良心を立派に磨き上げること。
2.親民(民を親たにす)…自分だけを磨き上げるのではなく、それを一般の人にも推し広めて進歩させること。
3.止至善(至善に止まる)…上記二つの項目を至高至善の地位に保たせること。


八条目(三綱領を実現する細目)
1.格物(物に格る)…様々な事物の性(道理)を究めること。
2.致知(知を致す)…人の性(良知)を究めること。
※格物致知の基本教養として六芸(礼・楽・射・御・書・数)を挙げている。
3.誠意(意を誠にす)…自分を欺かないこと。
4.正心(心を正しゅうす)…感情や欲に惑わされずに良心に従って判断すること。
5.修身(身を修む)…自らの行ないを正すこと。
6.斉家(家を斉う)…家庭内の秩序を整えること。
7.治国(国を治む)…国を統治すること。
8.平天下(天下を平にす?)…天下を平和にすること。


【参考文献】
『孔子』金谷治(講談社学術文庫) 『孟子』金谷治(岩波新書) 『論語集注1』朱熹著、土田健次郎訳注(東洋文庫) 『中国古典名言事典』諸橋轍次(講談社学術文庫) 『朱子学と陽明学』小島毅(ちくま学術文庫)