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FORESIGHT.COM

Foresight Group Official Blog


志を生み出す日本型のキャリア発達

ForesightAct-キャリア教育 ForesightAct 研究・考察

2015年に筑波で開催された国際学会で発表した、志についての研究論文を掲載します。

はじめに

本研究は、志を生み出す日本型のキャリア教育についての研究である。これをもとに実践、効果検証することにより、課題先進国日本の社会問題を解決する人材(志士)を育成することが目的である。

キャリア教育とは、平成23年1月31日中教審答申によると、「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」である。このキャリア教育理論については、スーパー、テイラー、クランボルツ等欧米の理論を参考にしているケースが多い。しかし日本でも藩校のあった時代から“社会的自立に向けた教育(生き方教育)”が行われており、昭和10年の修身の教科書には、最初に「立志」の項目がある。その中には「一定の方向・方針なくして進むことは無益である」「橋本左内や中江藤樹などの偉人は皆早くから志を立てて将来の大成を願っている」というようなことが書かれている。この「志教育」こそが日本型のキャリア教育だと考える。

かつて日本は明治維新と呼ばれる急激な成長を遂げた。わずか数十年で我が国を近代国家に成長させたのは当時の日本人の国民性・精神性であり、その中核にあるものが日本型のキャリア教育ではぐくまれた「志」であると考える。そのために明治維新を成し遂げた志士たちの「志」について追究する必要があるのである。「志士」とは新大字典によると「高遠な志をもつ人。道のため、義のため、世のため、人のため、国のために身命を捨てて尽くす覚悟のある人」のことである。現在の社会には地球温暖化、貧困、格差、難民問題、少子高齢化、国債、非正規雇用者、生活保護増加、農業人口の高齢化と減少、過疎化など、多くの問題がある。そこでキャリア教育を通して、これらの問題を解決に導く「志士」を育成する必要がある。

現在、高等学校ではキャリアガイダンスなどのキャリア教育に関する取り組みが行われているが、生徒のモチベーションが維持できないことが現場における最大の課題である。それは生徒の夢や目標に対する内面的な動機、つまり「志」が明確になっていないからであると考える。また福岡市の公立中学校は「立志式」を行っており、宮城県の教育方針の中には「志教育」が示されている。このように学校現場や各地方自治体の教育委員会、企業においても「志」という言葉が多用されているが、そもそも「志」についての科学的かつ詳細な検討、分析を行う先行研究はほぼ皆無である。そのため、まずは「志」とはなにかという定義づけが必要なのである。

この研究成果を実践するためには、まず、かつて日本が大切にしてきた「志」と「道徳教育」を体系化し、方法論化することが必要であると考える。そこで、坂本龍馬・橋本左内・吉田松陰が残した偉人の言葉と「志」の意味・語源・字源から、「志」の解釈を模索する。また、「志」の心理状態は、偉人の言葉をもとに、志の発達を促す心理的要因を分析することで明らかにする。

「志」の解釈

本章では、「志」という言葉自体の意味・語源・字源と、坂本龍馬・橋本佐内・吉田松陰が残した言葉をもとに、「志」の解釈を模索する。これらの人物は幕末の志士であり、日本の成長に大きく貢献した人物である。彼らの考え、志が表れている言葉から、この時代の「志」がどのように解釈されるものなのかを探る。

(1) 意味・語源・字源

「志」という言葉を広辞苑で調べると「①心の向かうところ。心にめざすところ。②相手が寄せてくれる厚意。親切心。または、情愛。 ③気持を表して物を贈ること。また、その贈り物」といった意味があった。また新大字典によると、字源は「之と心の合字。心のゆき向かう所。ゆえに心をかく。」(「之」の字源は「草木の成長するさまで、地より生い出た草が、さらに成長して行く意。これより、ゆく・出る等の義が生じる。」とある。)字義は「心の向かう所。意向。考え。目的。本心。」また、同じく新大字典より、志が入っている言葉をいくつか見てみると、「志向:心のおもむき向かう所。心ばせ。意向。」「志士:高遠な志をもつ人。道のため、義のため、世のため、人のため、国のために身命を捨てて尽くす覚悟のある人。」「志士仁人:道にこころざそうとする志人と、仁徳を成そうとする仁人。自分の生命を捨てても、心の徳を全うする人。」等がある。そして動詞の「志す」は、日本国語大辞典より「『心指す』で、心がその方へ向かうの意」とあった。これらのことから、「志」という言葉自体は「心の向かうところ」という解釈ができるといえる。

(2) 坂本龍馬

本節では、坂本龍馬の言葉を紹介する。坂本龍馬は幕府を倒すために、敵同士であった薩摩藩と長州藩を結び付けることに成功した人物である。彼の言葉は、様々な人へあてた手紙の中に残っている。

まず、文久3年6月29日付、坂本乙女あての手紙の中の「一人の力で天下うごかすべきは、是又天よりする事なり」という言葉を取り上げる。この言葉から、龍馬が日本を変えていこうとしたのは強い使命感からだということが感じられる。それも「一人の力で」、我こそが成し遂げるのだという気持ちを持っていることがわかる。これは龍馬の「世の人はわれをなにともゆはばいへわがなすことはわれのみぞしる」という和歌からもうかがえる。他人から何と言われようが自分だけにできることがある、という強い気持ちが表れている。またその「志願果して就(なら)不(ずん)ば、復(また)何(なんの)為(ため)にか君顔を拝せん」と考えていたようだ。これは慶応2年11月付、溝淵広之丞あての手紙の中の言葉である。龍馬は、志は必ず果たさなければならないものだと考えている。さらに、「何の志ざしもなき所にぐずぐずして日を送は、実に大馬鹿ものなり」という言葉から、彼が志は持つべきものだと考えていることがわかる。慶応元年9月9日付、坂本乙女・おやべあての手紙の中の言葉である。

彼の「志」の解釈は、「自分こそが成し遂げなければならない使命」、「なくてはならないもの」だといえる。

(3) 橋本左内

本節では、橋本左内の記した『啓発録』の「立志」の項目から言葉を取り上げる。『啓発録』は、「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、しかも弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がない」と考えた彼が書いた自己啓発書である。

彼は志について「志とは心のゆく所にして、我がこころの向ひ趣き候処をいふ。(中略)志を立つるとは、この心の向ふ所を急度相定め、一度右の如く思ひ詰め候へば、弥(いよ)〻(いよ)切にその向きを立て、常常その心持を失はぬやうに持ちこたへ候事にて候。凡そ志と申すは、書物にて大に発明致し候か、或ひは師友の講究に依り候か、或ひは自分患難憂苦に迫り候か、或ひは憤発激励致し候かの処より立ち定まり候者にて」と説明している。これは「志というのは、心の行くところ、すなわち自分の心が向かい赴くところをいう。(中略)また、志を立てるというのは、自分の心の向かい赴くところをしっかりと決定し、一度こうと決心したからには真直にその方向を目指して、絶えずその決心を失わぬよう努力することである。ところで、この志というものは、書物を読んだことによって、大いに悟るところがあるとか、先生や友人の教えによるとか、自身が困難や苦悩にぶつかったり、発憤して奮い立ったりして、そこから立ち定まるものである」という意味である。

彼は「志」について、書物や他人、困難などの外からの刺激がきっかけとなって生まれるものだという解釈をしているといえる。

(4) 吉田松陰

本節では、吉田松陰の様々な手記の中から言葉を取り上げる。吉田松陰は閉鎖的な日本の態度に問題を感じ、本当に必要とされていることは何かを考え続けた人物である。彼の手記からは、時事問題に憂え、憤る姿が見て取れる。その中から取り上げた「志」が表れている言葉を、3つに分類して紹介する。 まず1つ目は、「何にも惑わされないもの」「自分の信じるもの」という考えが表れている言葉である。それは「吾が道果(はた)して非ならば、諸友の容(い)るる所とならざるも固(もと)より当(あた)れり。吾が道非ならずんば、吾れ復た諸友を容(ゆる)す能(あた)はず(もし僕の踏み行う道が誤っているのならば、諸君たちが僕の考えを取り入れなくても、それはよかろう。だが僕の方法が誤っていないのならば、僕は諸君たちの考えに同調するわけにはいかない)」という言葉と、「余力を残さず、嫌諱(けんき)を避けず、斧鉞(ふえつ)後に恐るる所なく、富貴(ふうき)前に誘う所なし(全力で対処し、他人から恨まれたり嫌われたりすることなどには気をとめないでいた。またそのため重刑を科せられる恐れや、富や地位にも心を動かされるということもなかった)」という言葉である。

2つ目は、「絶対に成し遂げるもの」という考えが表れている言葉である。それは「平生(へいぜい)の志磨(ま)せず折(くじ)けず(平生からの志は、忘れることもくじけることもない)」「富嶽(ふがく)崩ると雖も、刀(とう)水(すい)涸(か)ると雖も、誓つて此の言(げん)に負(そむ)かざるなり(富士山が崩れても、利根川が涸れても、誓ってこの言葉にそむくことはありません)」「万済(な)らざるを知ると雖(いえど)も、万為さざるべからず(万一の成功の見通しはないとわかっていても、これだけは絶対に実行しなければならないのである)」「計愈(いよ)〻(いよ)違ひて志愈〻堅し。天の我れを試むる、我れ亦(また)何をか憂へん(計画が失敗すればするほど、決意はますます堅くなっていく。これは天が僕らに与えた試練なのだ。どうしてへこたれたりするものか)」という4つの言葉である。

3つ目は、「国のため」という考えが表れている言葉である。それは「今日より各(おの)〻(おの)一事を成して国に酬(むく)いば、其の間成敗なきに非(あら)ずと云ふとも、何ぞ国脈を培養せざらん(今日この日から一人一人が、何か一つの事で国に酬いるならば、たとえその間に裁きをうけることがあろうとも、どうして国威を高めることにならないということがあろうか)」という言葉と「義として身家を顧惜(こせき)し、黙然(もくぜん)坐視(ざし)して皇(こう)恩(おん)に報(ほう)ぜんことを思はざるに忍びざるなり(自分の身を惜しみ、ただ黙って傍観しているわけにはいかない。なんとか国に報いたいと、ただそればかりを考えている)」という言葉の2つである。

これらのことから、彼は「志」について「何かのために絶対に成し遂げる、自分の信じる物」という考えを持っていることがわかる。

(5) 孔子

本節では、孔子の言行を記録した論語から言葉を取り上げる。論語の内容は人生のあらゆる面にわたっている。その中から「志」に関連する文言を読み解くことで、「志」の発達を促す心理状態について考察していく。また、孔子が仁の修養を人生の最大指標であり「志」としている。

論語の中で、孔子は志について「匹夫(ひっぷ)も志を奪うべからざるなり」と言っている。これは、どんなに地位の低い人であろうとも、不動の意志を持っていればどんな力をもってしても奪いとることはできないという意味で、志を左右するのは身分や立場ではなく、自己の意志によってのみであることを示している。このことは、「人知らずして愠(いきどお)らず、亦(ま)た君子ならずや」(自分を理解してくれず実力を認めてくれない。そういう場合にも、心に憤りを抱かず、平静おだやかに自分の信じる生き方が出来る人こそが立派な人物だ)という孔子の有名な言葉にも如実に表れている。

では、そんな孔子にとっての志とは何であったか。広い意味で言うと、「朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」という言葉に表れているように、自分の生まれてきた意味を自覚し、それを実現することである。そして、孔子にとって、仁の道を説くことで人々の生活を安定させることこそが正にそれであった。孔子は、そのことについて「予(わ)れは一以(もっ)て之れを貫(つらぬ)けり。」(私は、自分の人生をただ一つの道、すなわち仁をもって貫いてきた)と述べている。つまり、孔子にとって、仁は自らの「志」を果たす方法であり、土台であったといえる。

仁について、孔子は論語の中で明確な定義づけをしておらず、相手や場面によって使い分けている。「己れの欲せざる所、人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ」(自分のしたくないこと、されたくないことは、人にもさせることなく、またしかけるべきでもない)では他者への思いやり、「己れに克ちて礼に復(かえ)る」(私欲にうちかって自我を没し、節度を守って社会と一体となる)では、社会のために私欲を捨て節度をもった行動をとることを仁の道としており、これらの要素を包括的に表現している。そういった意味では、現在使用されている道徳という語は、この内の前者に重きをおいた非常に類似した言葉といえる。

孔子はこの仁道を志すために必要なものとして、「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく身を殺して以て仁を成すことあり」(仁道を志す人は、自分の命を惜しんで、そのために仁の道を損なうようなことはなく、反対に、命を捨てても仁道を成し遂げていく場合がある)や「工(こう)は其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器(き)を利(と)くす」(職人は、仕事をうまく仕上げるためには、まずその道具に磨きをかける。立派な人間を志して修養するためには、賢者に近づいて学び、仁者を友とすることが必要である)と説いている。つまり、前者は使命感や命がけの覚悟、後者は師や友の重要性を述べた言葉といえる。

また孔子は道徳についても言及しており、「生まれながらにして之れを知る者は、上なり。学びて之れを知る者は、次なり。困(くる)しみて之れを学ぶ者は、又た其の次なり」(生まれつき道徳を知るものは上、その次は学んで知る者であり、自分で苦しんで学ぶ者はまたその次である。三者それぞれに差はあるが努力によってみな上の者と同等にまで到達できる)と述べ、その先天性を認めながらも、努力すれば教育によって伸ばすことが出来ることを示唆している。このことと先に述べた仁と道徳の類似性から考えると、道徳教育が「志」を育む土台づくりに大きく寄与することが考えられる。ただし、孔子が「巧言(こうげん)は徳を乱る」(実行の伴わない巧みな言葉は、ややもすると人間の徳を乱してしまうものだ)や「人は能(よ)く道を弘(ひろ)む」(徳目がいくらあっても、道徳はひろまらない。徳は人間の実行にある)と述べているように、単に受身的に講義を聞くだけでは不十分であり、徳の実行につながる道徳教育が必要であることは言うまでもない。  

(6) 「志」の解釈

以上(1)から(5)より、「志」の広義の解釈を「人生の指針や軸となるもの」とした。そして、本章で挙げている人物のこれらの言葉の背景にあるものを加味すると、狭義には「世のため人のために尽くしたいというとどめることのできない衝動」と解釈できる。

これらの解釈は、あくまで過去の人物の考えをもとにしたものである。現代を生きる人が「志」をどのようにとらえているかは、現在調査中である。また、「人生の指針や軸となるもの」を学校で学ぶ教科の中でどう育んでいくか、福岡県の高等学校教員と共同研究を進めている。

志評価尺度について

独自の志評価尺度を作成した。資料①にあるように、設問形式で、志の土壌となる7つの因子を測り、志教育のアセスメントに使用する。全部で八つある項目は、偉人の言葉(主に江戸時代末期の志士の言葉)をもとに作成した。

一つ目の項目は「自己肯定」である。定義は「自分自身を認め、理解を示すといった姿勢が前向きであること」とする。質問項目は「自分を価値のある人間だと感じることができる」「自分のことを前向きに見つめることができる」などである。これは、坂本龍馬の言葉「世の人はわれをなにともゆはばいへわがなすことはわれのみぞしる」、孟子の言葉「爾は爾為り。我れは我れ為り」から定めた。

二つ目の項目は「他者支援」である。定義は「他者に対する思いやりや手助けに関する気持ちを持っていること」とする。質問項目は「世のため人のために何かをしたいと思うことができる」などである。これは、吉田松陰の言葉「義として身家を顧惜し、黙然坐視して皇恩に報ぜんことを思はざるに忍びざるなり」「今日より各〻一事を成して国に酬いば、其の間成敗なきに非ずと云ふとも、何ぞ国脈を培養せざらん」、森信三の言葉「野心とか大望と「志」という言葉の区別は、結局のところ、根本動機に「世のため人のために」という要素があるかどうかである」から定めた。

三つ目の項目は「将来期待」である。定義は「自分自身の将来に対する期待や希望が前向きであること」とする。質問項目は「大人になることや社会に出ることに楽しみや期待をもつことができる」などである。これは、吉田松陰の言葉、「禍福は縄の如しといふ事を御さとりがよろしく候。禍は福の種、福は禍の種に候。人間万事塞翁が馬に御座候。(中略)所せん、一生の間難儀さへすれば先の福があるなり。何の効げんもない事に、観音へ頼んで福を求める様の事は必ず必ず無益に存じ候。」(安政六年四月十三日「妹千代宛書簡」)、「天下の事追々面白く成るなり。挫するなかれ、折くるなかれ。(安政六年八月十三日「久保清太郎・久坂玄瑞宛書簡」)」から定めた。

四つ目の項目は「積極的行動意欲」である。定義は「つまずいても前を向くさまや積極的に取り組む姿勢を持っていること」とする。質問項目は「失敗してもやり続けようという意志がある」「自分がしようと思ったら、すぐに行動に移すことができる」とする。これは、橋本左内の言葉「常常その心持を失はぬやうに持ちこたへ候事にて候」、孔子の言葉「予れは一以て之れを貫けり」「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく身を殺して以て仁を成すことあり」、孟子の言葉「井を掘ること九軔にして、而も泉に及ばざれば、猶お井を棄つと為すなり」、「中庸」の子思の言葉「人一(ひと)たびして之(こ)れを能(よ)くすれば、己(おの)れ之(こ)れを百(ひゃく)たびし、人十(と)たびして之(こ)れを能(よ)くすれば、己(おの)れ之(こ)れを千(せん)たびす。果(は)たして此(こ)の道を能(よ)くせば、愚(ぐ)と雖(いえど)も必ず明らかに、柔(じゅう)と雖(いえど)も必ず強なり」、森信三の言葉「志とは、これまでぼんやりと眠っていた一人の人間が、急に眼を見開いて起ち上がり、自己の道を歩き出すということである」から定めた。

五つ目の項目は「時事理解(当事者意識)」である。定義は「社会的事象に興味を持ち理解しようと努める気持ちを持っていること」とする。質問項目は「社会や組織の課題に目を向け、当事者として解決に取り組むことができる」などである。これは、吉田松陰の言葉、「嗚呼、国事を知らざる、愧づべし愧づべし愧づべし愧づべし愧づべし(繰り返し符号)。(嘉永四年十月二十三日「兄杉梅太郎宛書簡」)」、「飛耳長目は今日の急務に御座候所、只今要路の歴々のごとく人材御嫌ひ成され、天下の士へ一向御交遊御座なく候ては井蛙の謗免かれ難く候。(安政五年正月九日「清水図書宛書簡」)」、「外国の事情を知らずして徒らに海岸を守り貧窮に困しみ候は誠に失策に之れあるべく、暎咭唎・仏蘭西などの小国にてさへ、万里の遠海へ亙り人を制し候は、皆々航海の益に御座候。此の所早く御着眼之れなく候ては覚束なく存じ奉り候事。(安政五年五月二十八日「続愚論」)」、橋本佐内の言葉、「学と申すは、忠孝の筋と文武の業とより外にはこれ無く(中略)不幸にして乱世に逢ひ候はば、各々(ゆすり点)我が居場所の任を果して、寇賊を討平げ禍乱を克ち定め申すべく(中略)これ等の事を致し候には、胸に古今を包み、腹に形成機略を諳じ蔵め居らずしては、叶はぬ事ども多く候へば、学問を専務として勉め行ふべきは(学問の本旨とするところは、忠孝の精神を養うことと、文武の道を修業することの二つしかない(中略)不幸にして戦乱の時代となったときは、それぞれ自分の職務を立派に遂行して外敵を討平げ、世の中の乱れを平定せねばならぬが(中略)これらのことをいつでも勤め得るためには、昔より今に至るまでの様々の知識を学び覚え、世の情勢の変化に即応して、直ちに大事を処置する方策を暗記するくらいに習熟しておかねばならない。)」(啓発録)から定めた。

六つ目の項目は「孤立意識」である。定義は「他者を理解することや他者から理解されることに対して消極的であること」とする。質問項目は「世の中に信頼できる大人は少ないと思っている」などである。この因子は逆転項目として設定する。

七つ目の項目は「自己判断」である。定義は「周りに流されることなく自らの意見や選択を尊重する気持ちを持っていること」とする。質問項目は「間違っていないと自分が信じたら、周りの意見に流されず自分の意見を主張できる」「一度やると決めたら、その意志を変えない」などである。これは、橋本左内の言葉「志を立つるとは、この心の向ふ所を急度相定め、一度右の如く思い詰め候へば、弥〻切にその向きを立て」、吉田松陰の言葉「吾が道果して非ならば、諸友の容るる所とならざるよりも固より当れり。吾が道非ならずんば、吾れ復た諸友を容す能はず」「余力を残さず、嫌諱を避けず、斧鉞後に恐るる所なく、富貴前に誘う所なし」「平生の志磨せず折けず」「富嶽崩ると雖も、刀水涸ると雖も、誓つて此の言に負かざるなり」「今日より各〻一事を成して国に酬いば、其の間成敗なきに非ずと云ふとも、何ぞ国脈を培養せざらん」、孔子の言葉「匹夫も志を奪うべからざるなり」「人知らずして愠らず、亦た君子ならずや」「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく身を殺して以て仁を成すことあり」、孟子の言葉「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾れ往かん」「志を得ざれば独り其の道を行う」「爾は爾為り。我れは我れ為り」「井を掘ること九軔にして、而も泉に及ばざれば、猶お井を棄つと為すなり」、子思の言葉「人一(ひと)たびして之(こ)れを能(よ)くすれば、己(おの)れ之(こ)れを百(ひゃく)たびし、人十(と)たびして之(こ)れを能(よ)くすれば、己(おの)れ之(こ)れを千(せん)たびす。果(は)たして此(こ)の道を能(よ)くせば、愚(ぐ)と雖(いえど)も必ず明らかに、柔(じゅう)と雖(いえど)も必ず強なり」森信三の言葉「孔子の「吾れ十有五にして学に志す」という言葉は決して15歳で勉強を始めたとか書物を読み始めたという程度の意味ではない。自分の生涯をかけて自分に磨きをかけ、その道によって国を治めるところまでいかなければならないという覚悟を決めた言葉である」「真に志を立てるということは、この二度とない人生をいかに生きるかという、生涯の根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならない」から定めた。

志評価実施・結果分析

本章では、前章で示した尺度を使用した調査結果を分析する。

福岡市内の高等学校の生徒○○名に調査を行った。今回の調査では、「他者支援」「自己判断」の2因子の数値が高かった。「他者支援」の数値が高くなっていることは、生徒の中に倫理観が育っていることを示す。この数値の高さは、日本の道徳教育の賜物といえる。一方、数値が低かったのは「自己肯定」「時事理解」である。特に気がかりなのは「時事理解」である。この数値の低さから、生徒たちの社会への関心度が低いことや社会との接点が少ないことがわかる。このような実態が、生徒たちのキャリア発達の足かせとなっているのである。また「自己肯定感」の低さは、PISAのデータが示す通り、世界的に見ても日本は低い位置にあった。これは日本人の謙虚な姿勢等を示すものでもあるのではないかと考え、測定方法など検討が必要である。

志の有益性

本章では、志を持っていることがどのような良い影響を与えるのかを示す。

光浪(2010)によって、目標を持つことが学習行動を促進させていることが明らかになっている。そして山崎(2014)は、「志」が心の向かう方向、個人の意思や目標の決定を表すものであることから、志と学習行動とが関連する可能性が高いと考えている。つまり志を高く持っていると評価することが心の方向性や目標が定まることを示すと考えると、それに応じて学習行動も高く評価されると仮定している。「志」と学習行動には正の相関関係がみられると想定されるということだ。

今後の課題

志の解釈は、時代とともに変化(進化)している。根底は変わらないまでも、先人たちによってそれぞれの時代に合った解釈がなされている。紀元前の孔子がいう志、飛鳥時代の聖徳太子がいう志、平安時代の空海がいう志、中世の武将たちがいう志、明治維新を起こした志士たちがいう志、明治・大正時代の志、そして現代の志がそれぞれ存在しているということである。本研究ではそのもととなる東洋思想、つまり四書五経や、特に江戸時代後期から明治時代の先人たちの「志」の解釈に注目した。今後は各時代の志についても考察していくとともに、その土壌となる倫理観や道徳心について同様に研究していく必要がある。また、我々は志が育つことを日本型のキャリア発達ととらえているため、志の因子となりうる他の因子の検討をさらに続け、その効果的な指導方法を検証していきたい。

また、西田が支援している九州内高等学校約60校の生徒を対象に、志の土壌となる7つの因子を測り、志教育のアセスメントに使用する。また、これらは「社会人としての基礎意識」ともなるので、生徒のキャリア発達度を測ることもでき、クラス担任のマネージメントや、我々のような学校外から教育を支援する団体には、生徒を見立てるツールとしても使用し、効果的な志教育、キャリア教育の効果検証も行っていきたい。



【引用文献】
新村出編『広辞苑 第五版』岩波書店 1998年
松村明編『大辞林 第三版』三省堂 2006年
上田万年ほか編『新大字典』講談社 1993年
日本大辞典刊行会編『日本国語大辞典 第八巻』小学館 1987年
宮地佐一郎『龍馬の手紙』講談社 2003年
伴五十嗣郎訳『啓発録―付 書簡・意見書・漢詩』講談社 1982年
奈良本辰也『吉田松陰著作選 留魂録・幽囚録・回顧録』講談社 2013年
石井寛治『大系日本の歴史 12開国と維新』小学館 1989年
矢内原忠雄『武士道』岩波書店 1938年